入獄4回、罰金、発禁処分29回。明治、大正、昭和を生きた反骨のジャーナリスト・宮武外骨(みやたけ・がいこつ)がいま、注目されています。弾圧されてもひるむどころか、逆手にとってユーモアとしゃれで権力に立ち向かい続けました。

 先日、この外骨を取り上げるドキュメンタリー番組を取材しました。MBSテレビのドキュメンタリーシリーズ「映像’17」では「宮武外骨と安倍政治~権力の嗤(わら)い方」と題し、27日深夜0時50分(関西ローカル)から放送します。

 番組の冒頭シーンにはクスッと笑いました。「もりそば」と「かけそば」のアップの映像が出てきました。安倍政権を揺るがす「森友学園」と「加計学園」を連想させます。映像に使われた「もりそば」と「かけそば」はホンモノではなく、店の前に置いてあるメニューサンプル、つまり模造品です。

 番組を手掛けたMBS報道局番組部の津村健夫ディレクター(53)のコメントがふるっています。

 「外骨にならったしゃれです。あえてサンプルにしました。本物よりも模造品のチープさの方が、『もり』と『かけ』に合うのではないかと。大阪・中津のそば店から借りてきました」

 外骨は明治維新直前の1867年、現在の香川県に庄屋の四男として生まれました。亀五郎と命名されましたが、文筆家として生きることを決意した18歳の時、外骨と改名。中国の古書に「亀は外骨内肉ノ者ナリ」にちなみ、外骨に硬骨の自負を込めたといわれています。

 19歳で上京し、22歳のとき「頓智(とんち)協会雑誌」を発行。できたばかりの大日本帝国憲法をパロディー化した「頓智研法」では、外骨が骸骨から「研法」を授かるイラストを掲載。条文と王座の天皇を連想させるとして不敬罪に問われ、3年8カ月の勾留・服役を経験しました。

 それでも外骨はメゲません。34歳の時に大阪に移り、1901年に雑誌スタイルの「滑稽(こっけい)新聞」を創刊。私腹を肥やす政治家や悪徳商人の不正をたたきました。モットーは「過激にして愛嬌(あいきょう)あり」。告訴されれば、取り調べの様子を紙面で報じ、庶民の感覚で社会を見て、ユーモアたっぷりに物事の本質を伝え続けました。当時、在阪の主要な新聞でも発行部数が10万部だったころ、「滑稽新聞」の発行部数は8万部に増えました。

 今回のテレビ番組では、外骨の晩年を知る甥(おい)で文筆家の吉野孝雄さんへのインタビュー、外骨ファンでもあり「文春砲」の週刊文春・新谷学編集長への取材などを重ねています。

 なぜ外骨の行動は共感を呼んだのか。同番組の澤田隆三プロデューサー(56)は言います。「正面からだけでは心に響かない。いま我々が生きている時代のジャーナリズムは、正面からだけではなく、ユーモアを持って批判していくやり方をもう1度見つめ直すことも必要ではないかと思います」。

 今年で外骨は生誕150年。番組には外骨がユーモアたっぷりに掲載した山口県出身の総理大臣、桂太郎のイラストが登場します。なぜか桂太郎の顔はボコボコです。

 「かけそば」「もりそば」。外骨の足跡を振り返るドキュメントですが、実は番組自体が愛嬌(あいきょう)たっぷりの風刺になっています。【松浦隆司】(ニッカンスポーツ・コム/コラム「ナニワのベテラン走る~ミナミヘキタヘ」)


宮武外骨が創刊した「滑稽新聞」(MBSテレビ提供)
宮武外骨が創刊した「滑稽新聞」(MBSテレビ提供)