タレント松本明子(60)が先月2日に左足関節脱臼骨折で入院、同8日に還暦、60歳の誕生日を迎えた。ボルト12本を埋め込む重傷も、同17日に退院して、松葉づえをついて復帰した。めでたいんだか、どうだかよく分からない、祝! 骨折還暦退院記念インタビュー。あの大事件も含めて、その軌跡をじっくりと振り返ってもらった。【小谷野俊哉】
★すねの骨が皮膚を
事件は4月2日の昼前。松本の自宅前で起こった。
「玄関を出て1歩目です。左足を踏み出した瞬間にツルンと滑りまして、内側にグニュッとね。いかんと思って力をかけて外側に開いたら、尻っぺたで着地。激痛で気がついたら左足首があらぬ方向、外側に直角に曲がってしまって、そこから先がブランブラン。足のすねの骨が皮膚を突き破ろうとしていました。(夫の)本宮(泰風)が出てきて、車で大学病院に運んでくれました」
エックス線、CTを撮って、大手術。
「ボルトで足を串刺しにして、キュッキュッと締めてつり上げて6日間。創外固定(そうがいこてい)って、バラバラになった骨を固めてジャングルジムみたいに押さえる」
同7日に3時間かかって2回目の手術。金属プレートを12本のボルトで固定して20針縫った。翌8日のお釈迦(しゃか)様の誕生日に、病院でめでたく60歳。
「麻酔が切れたら息もできないくらい、ジンジン痛い。痛みで一睡もできないうちに還暦になりました」
★聖子ちゃんになりたくて
左足にはかかとが地面に着かない装具、右足には長さを合わせるために上げ底スニーカー。リハビリをして、松葉づえが取れるのは3カ月後の予定だ。
「入院中は44人もお見舞いに来てくれました。ありがたいかぎりです」
香川県の高松から上京したのは1982年(昭57)3月、中学卒業の翌日。
「(松田)聖子ちゃんになりたかった。それで日本テレビの『スター誕生!』の決選大会でスカウトされました。17歳、高校2年生の5月21日に『♂×♀×KISS(オス・メス・キッス)』でデビューしたけど、とにかく売れない」
★1984年2元中継生放送で…
ニッポン放送「鶴光のオールナイトニッポン」の笑福亭鶴光(78)のアシスタントに。84年4月1日、「オールナイト-」とフジテレビ「オールナイトフジ」の2元中継生放送で鶴光と片岡鶴太郎(71)にそそのかされ「オ○○コ」の4文字を叫んだ。
「一瞬、考えましたよ。これはいけない言葉なんじゃないかと。だけど売れないアイドルとして、爪痕を残したかった。生放送で、私はスタジオから撤収。翌日から謹慎。朝日新聞の社会面に『新人アイドル歌手、言ってはいけない言葉を生放送で発言』と。田舎の母親に電話で泣きついたら『よかったじゃない、名前が知られて』と笑ってた」
その後、2年近く東京のテレビ局から声がかからなかった。その姿を見ていたのが、渡辺プロダクションの後輩の中山秀征(58)だった。
「秀ちゃんが『姉さん、居心地悪いでしょうから、僕のいるバラエティー班に移って一緒に頑張りましょうよ』って声をかけてくれた。いつか一緒にレギュラーやりたいね、と」
★「電波少年」で司会
中山とは、91年から00年まで日本テレビの深夜バラエティー「DAISUKI!」で共演した。
89年4月から7年間、ニッポン放送「ラジオビバリー昼ズ」で放送作家高田文夫氏(77)のアシスタント。12年1月に復帰して現在も続いている。
「謹慎後初の生放送。高田先生は松本典子ちゃんを発注したらしいんですが、ニッポン放送の人が勘違いしたらしい(笑い)」
92年4月からテレビ東京系「TVチャンピオン」シリーズで16年半にわたるMC。同年7月に始まった日本テレビ「進め!電波少年」シリーズで03年1月まで司会を務めた。松村邦洋(58)とコンビを組んだ。
「まっちゃんは天然で、私は母親みたいなもの(笑い)。ものまねだけじゃなく、歴史とか大河ドラマとか立派に仕事をしている」
★原田龍二共演が縁
自身も体を張った。94年のNHK「紅白歌合戦」では、エンディングの「蛍の光」合唱団に紛れ込み「紅白もらった」という垂れ幕を掲げた。
「スタッフは入場禁止で、隠しマイクだけで楽屋口から1人で侵入して『紅白もらった』。バイクの後ろに乗って、逃げました」
95年には、パレスチナ解放機構(PLO)のアラファト議長にアポなしで対面。
「イスラエルのテルアビブからパレスチナのガザ地区まで。国境を渡って、機関銃を突きつけられた」
夫の本宮と知り合ったのは、その兄の原田龍二(55)との連ドラ共演中。
「96年に連ドラのロケ先に、本宮が陣中見舞いに来たんです。みんなでご飯に行こうとしたけど、私と本宮だけに。初めてでお店に行く感じでもなく『じゃあ、実家に来ますか』と。四国から両親が上京して親子3人で住んでました。そこで一緒にご飯を食べてから『今度は僕の実家に来ませんか』と。その日のうちに埼玉の本宮の実家に行きました」
1年半後、98年3月に結婚。当時は「松本明子が、原田龍二の弟の6歳も若い本宮泰風という俳優と結婚」と報じられた。00年には長男も誕生。結婚時は無名の本宮も、現在では人気ビデオシリーズ「日本統一」の主演、プロデューサー。松本の支えがあったからこそだ。
骨折して、還暦になった。
「8月22日に東京・シアター1010で、不作のアイドル同期“お神セブン”の『83年組アイドル アラ!?還ライブ』を2回公演。デビュー時の衣装で、デビュー曲を歌いたい。還暦アイドルで売れたい」
今月21日は43回目のデビュー記念日。どん尻から、今も表舞台を松葉づえで走り続けている。
▼「進め!電波少年」のプロデューサーだった土屋敏男氏(69)
「電波少年」までは全然付き合いがなかったのですが、すぐに“アッコと番組をやれたのが成功の理由”だと分かった。彼女はロケに行っても、相手の懐に入るのが抜群にうまい。もめている両方の懐を行ったり来たりして、相手に「しょうがないな」と思わせるうまさとたくましさがある。番組が終わって20年以上たつけど、今でも活躍している。「電波少年」のうちに結婚して、出産して、戻ってきた。あの番組をやり切ったのは彼女だけですから。
◆松本明子(まつもと・あきこ)
1966年(昭41)4月8日生まれ、香川・高松市出身。82年日本テレビ「スター誕生!」でスカウトされ、83年「♂×♀×Kiss(オス・メス・キッス)」でアイドル歌手デビューも不発。89年にニッポン放送「ラジオビバリー昼ズ」、91年日本テレビ「DAISUKI!」、92年テレビ東京「TVチャンピオン」、日本テレビ「進め!電波少年」のレギュラーに。98年に俳優本宮泰風(54)と結婚。152センチ。血液型A。










