-演じることで救われる

 どんな役でも、演じることで人間の輪郭がはっきりすることがあるんです。私に近しい人間はみんな納得すると思うんですけど、私自身は大しておもしろくない、ぼんやりした人なんです。ビビッドでインパクトあるねという人ではない。それは小さいころからそうなんです。でも役柄を与えられることによって、何でそういうメカニズムなのか分からないんですけど、初めて人間らしい感情がビビッドに出るところがあるんです。小さいころからいじめられっ子ふうだったり、目立たなかったことが多かったので、自分の中でいろいろなことを考えて、感情が発露するタイプではなかった。内に内にたまっていたものが、演技という場で出てくるんだと思います。

 -アイドル時代も

 違和感を感じながらアイドルをやっていましたね。でも、その違和感みたいなものが、私をアイドルとして成立させてたのかな、と思います。ニーズが途絶えなかったとすれば。

 -転機は

 NHKのドラマで緒形拳さんと共演させていただいたことがあって(=「とっておきの青春」)。緒形拳さんはものすごく大切な人で、本当に緒形拳さんのことが好きだった。その時、嫁入りのシーンで泣く芝居だったのかな。すごく集中して、スタッフの存在、カメラとかブームとか、カットがかかった瞬間に自分の中から意識がなくなってたことに気付いたことがあって。以来何度か、カメラさん、照明さん、録音部さんが自分の中から消えることがあって、その時に麻薬的なものを感じましたね。演技に没入する…。脳内で何か分泌してるのか分からないですど。

 -「三度目-」では

 台所で暗に娘を脅すシーン。これはすずちゃんのすごいところだと思うんですけど、見つめられると、まなざしなんだけど深い洞穴、みたいな芝居があって、すっと吸い込まれる、そういうシーンが印象的でした。すずちゃんは青春キラキラ映画にも対応するんだけど、ぞっとするような芝居にも難なく共存できる。

 -1人ではできなかった

 演技は音叉(おんさ)じゃないけど、共演者、現場の雰囲気と共鳴しあって高まる。私1人の力で何かできたとは毛ほども思っていないです。すずちゃん、是枝監督、福山(雅治)さん、役所(広司)さん…、共鳴しあって、共振しあってできたと思います。

 -授賞式での楽しみ

 授賞式って言われて、真っ先に思い浮かぶのは、今、初めて口にするんですけど、こそっと、はじっこにでも入れるなら、両親に見せたいです。娘のはれがましいところを見せてあげたいなと思います。

 -現場に両親を呼んだことは

 舞台やコンサートは呼んだことはありますけど、作品の現場はあまりないです。映画「リベンジgirl」は撮影現場が横浜が多かったので、その時は呼んだりしました。うれしそ~に両親は見てました。(授賞式は)両親が見てたら、泣いちゃうかも。