劇団四季の元代表で、「キャッツ」「ライオンキング」のミュージカルを手掛けた演出家の浅利慶太(あさり・けいた)さんが13日午後5時33分、悪性リンパ腫のため都内の病院で亡くなった。85歳だった。

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 浅利慶太さんは劇団四季の専用劇場を大阪、名古屋、福岡、札幌に建設するなど、日本にミュージカルを定着させた。その力の源は、中曽根康弘元首相のブレーンになるなど、政財界での幅広い人脈にあり、そんな幅広い人脈をもつ異色の演劇人の訃報に、各界から悼むコメントが寄せられた。劇団四季から育った鹿賀丈史(67)と市村正親(69)はそれぞれ会見し、恩師の死を悼んだ。

 鹿賀にとっては、名付けの親であり育ての親だった。金沢出身と聞いた浅利さんが付けたという。「鹿のように俊敏で澄んだ目をしていろ」と、“鹿”の文字を授けられた。「浅利先生がいなかったら僕はいない。その言葉は忘れられないし、今もその気持ちは大事にしていきたいと思っています」と“父”に感謝を述べた。

 00年に食事先でばったり会ったのが最後になった。当時「マクベス」の公演を控えていた鹿賀に、浅利さんは「できるのか?」と厳しい口調でハッパをかけてきた。数日後、届いた手紙には「酒を飲んでいて、きついことを言ってごめん」と謝罪の言葉がつづられていた。「劇団を辞めてずいぶんたつのに見てくださっていたんだ、と。感謝の気持ちでいっぱいです」。気丈に話していた鹿賀の目から、堪えきれなくなった涙があふれた。

 市村はミュージカル「モーツァルト!」大阪公演千秋楽を終えて、急いで帰京した。浅利さんを「偉大な演技のお父さん」と例え、「ゼロから教育してもらった。浅利さんの演技論がしっかりと入っているし、言ったことは全部覚えている。今度は僕が後輩たちにつなげていきます」と誓った。