女優泉ピン子(72)が旭日小綬章を受章し、「この道、一筋にやってきたことは間違いじゃなかった」と喜びを表現した。

ピン子は「叙勲と縁はないと思っていましたので、誰が? でしたね。自分とは全く思いませんでした。びっくりしました。83年にNHK連続テレビ小説『おしん』をやって…テレビだけでやってまいりました。代表作と言えばテレビ。テレビというのが一番近い存在だと思っています。テレビをやり続けて五十数年、良かったなと思います。主人に言いましたら、やはり『誰が?』と言いました」と笑った。

また「勲章ってすごいですね。あらためて頂くと、重みですか。日本人として国からご褒美を頂くということは今まで歩き続け、駆け抜けて、この道、一筋にやってきたことは間違いじゃなかった。ご褒美を頂いたなと本当にうれしく思っています」とあらためて感想を語った。また、代表作の多くが脚本家橋田寿賀子さんの作品。「橋田先生に感謝です」。

すぐに亡くなった父の墓参りに行って報告したという。ピン子という芸名も父が付けたと紹介。

「『泉という漢字に売れたためし無し』と父が言ったんです。普通、親が付けるなら売れた人の名前を付けると思うのですが、ピンからキリまでのピン子がいいと。それもカタカナの方がモダンでいいと。お年寄りから子供までピンちゃん、ピン子と親しみやすく呼ばれる名前だと言ってましたね。父が残した中で、泉ピン子というのは傑作だと思っています」と語った。

NHKでは「おしん」の他に81年の大河ドラマ「おんな太閤記」にも出演した。NHKが発表するまでは大河の出演は秘密にしなければならなかった。当時、秘密にしてほしいと言って出演を伝えた父は東京・五反田に住んでいた。ピン子は「五反田の街に行きましたらタバコやのおじさんからそば屋のおばさんたち町中が大河に出ることを知ってました。生きていたら、この叙勲のことも町中に広まっていたかも。まあ、一番、父が喜んでくれると思う」と笑った。

最も印象に残っている作品には「チャンスを多くくださったのは『渡る世間は鬼ばかり』もそう、『おんな太閤記』『いのち』『おしん』やはり橋田先生で『おしん』かな。どれも自分の子供みたいなもの」と語った。

また、女優の心構え、大切にしていることにも言及。「役者はできたら衣装は自前を使いなさいと杉村春子さんに教えて頂きました。寝間着は自分の寝間着を使う方が感じが出ますし。そういう事が今は少なくなってきてるかな」。

今後については「役は待つことが私たちの仕事。巡り合った時にどう作るか。北林谷栄さんにもかわいがってもらい、森繁久弥さんにも。役者大好き、芝居の大好きな人たちが教えてくれた。そういう意味では私はいい財産を先輩たちからいただきました。役者は何をやりたいより、待つことが仕事と思っています」と語った。

プライベートでの今後には「私、東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会顧問をやっているので、来年はボランティアで1年はすごそうと思っています。お国のために少しでも役に立てれば」と語った。

最後は台風によって被害を受けた被災者にも心を寄せ「うちも10日近く断水してましたが、力を落とさないで。頑張ってという言葉はきついと思います。どうかお体をおいたわりください」と語った。