歌手近藤真彦(57)とギタリスト野村義男(57)、つまりマッチとヨッちゃんの全国ツアー「MasahikoとYoshio Live Tour 2021-2022」の最終東京公演初日の取材に、今月2日に行ってきた。

これで1月に行われた俊ちゃん、歌手田原俊彦(61)の還暦記念写真集「DOCUMENTARY」の赤ふんヌード取材と合わせて“たのきんトリオ”コンプリートだ。昨年還暦を迎えた、たのきん世代の記者にとっては、彼らのアイドル全盛時代を肌で感じているだけに味わい深いことこの上ない。

個人的には野村がTHE GOOD-BYEのメンバーとしてデビューした83年の「気まぐれ ONE WAY BOY」を聞けたのがラッキー。

イントロから<歌詞>Rock'n Tonight Rock'n Tonight と、ごく自然に口ずさんでいる自分自身にびっくりした。

そして、びっくりしたのが、近藤から「僕の取材は、どれくらいぶり」と聞かれたからだ。

80年代後半から90年代前半にかけて、三重・鈴鹿サーキットでF1日本GPが開催されるようになり、日本中にモータースポーツブームが巻き起こった。いろいろな芸能人がレース活動をする中でも、近藤はトップアイドルでありながらF3、F3000とステップアップしてトップフォーミュラに参戦。

たしか近藤とレース参戦について話したことがあったはずと調べてみた。92年6月29日に川崎・生田スタジオで行われた西田敏行主演のスペシャルドラマ「池中玄太83キロ」のクランクイン取材だった。宮城・菅生サーキットで行われたF3のタイヤテストに、前日まで参加していたという近藤にドラマそっちのけであれこれ聞いたのを覚えている(笑い)。ドラマやら、お笑いやら、ミニスカポリスを連れて釣りに行ったり、プロレス、ゴルフと“社内巡業”を繰り返して、なんと30年ぶりに、じっくりと話すことが出来た。

98年からは自らのレーシングチーム「KONDO Racing Team」を監督として率いて、芸能人と二足のわらじを履いている。18年にはスーパーフォーミュラでチームとして、20年にはスーパーGTのGT300クラスで優勝している。これはレースを知っているものなら、誰もが分かる偉業だ。

昨年、長年所属したジャニーズ事務所を退所した近藤は「自分の会社でレースと歌手活動のマネジメントをやることで、レスポンスが良くなった」と話した。久しぶりのレースの話で、記者も「マッチのマーチ」のCMで知られた日産系の顔とも言われる近藤が、スーパーフォーミュラでトヨタエンジンを搭載してチームとして走る裏話などをじっくりと聞いてしまった。

歌手とレーシング監督の二刀流で、共にトップを極めた。その偉業の価値を知らしめるためにも、マッチにはまだまだ頑張り続けて欲しい。