大沢たかお(55)が3日、東京・TOHOシネマズ新宿で行われたプロデューサーを務めた主演映画「沈黙の艦隊」(吉野耕平監督)大ヒット御礼舞台あいさつで、司会からモデルにスカウトされた地を明かされた。「その話、どうでも良くないですか? まぁ、そうなんですけど」と言い、照れ笑いを浮かべた。
この日、大沢は吉野耕平監督(44)とそろって登壇し、観客からの質問を直接、受けた。その前段で、司会から大沢に、東京出身の上、子供の頃から映画好きで新宿に通っていたのでは? と質問が出た。大沢は「新宿に通っていたわけじゃないですけど、映画館には、すごく来ていて。(新宿ミラノ座があった)コマ劇場の周りは来ていて。昔はもう少し、怖いエリアだったので、ヒヤヒヤしながら…。夜は、親が厳しかったのでダメだった。昼とか週末の朝ですね。自分の家に帰ってきた感じ。ステージの側にいるのが不思議で、変な…幸せな感じ」と語った。
すると、司会から「スカウトされたのも新宿?」と追加で質問された。専大在学中の1987年(昭62)にスカウトされ、モデルで活躍し、94年のフジテレビ系ドラマ「君といた夏」で俳優デビューしたが、きっかけとなったスカウトの地が新宿と明かされ、大沢は「その話、どうでも良くないですか? まぁ、そうなんですけど…あまりに昔の話なので、もうちょっと…確かに新宿なんですけど」と笑った。
◆「沈黙の艦隊」かわぐちかいじ氏が1988年(昭63)から96年まで漫画誌「モーニング」に連載し、累計発行部数3200万部(紙・電子)を誇る、同名漫画を、連載から約30年の時を経て実写化。Amazonプライムビデオが日本国内で映像制作をスタートして5年で初めて劇場版映画を製作。日本の近海で、海上自衛隊の潜水艦が米原潜に衝突し沈没した。艦長の海江田四郎(大沢)を含む全76名が死亡との報道に衝撃が走るが、実は乗員は無事生存していた。事故は、日米政府が極秘に建造した高性能原潜「シーバット」に彼らを乗務させるための偽装工作だった。米艦隊所属となったシーバットの艦長に任命されたのが、海上自衛隊一の操艦を誇る海江田であったが、シーバットに核ミサイルを積載し突如、反乱逃亡。理想とする世界の実現を目指し、自らを国家元首とする独立戦闘国家「やまと」を全世界へ宣言。海中における、海江田の天才的な戦闘術に、日米が翻弄(ほんろう)され、重大な決断と選択に迫られる物語。