女性ロックバンドSHOW-YAが8日、40周年記念カバーアルバム「無限」をリリースする。30周年から続く流れをくむカバーアルバムだが、今回は昭和~平成の名曲をSHOW-YA風のロックにアレンジした。女性バンドの先陣を切り続けるSHOW-YAのボーカリスト寺田恵子(62)が、アルバムに込めた思いを明かした。また、40年を振り返り、数々の伝説の真偽も確認しつつ未来への展望も語った。【川田和博】
-SHOW-YAを抜けていた時期は、SHOW-YAを全く見ていなかった?
寺田 いや、それがね、そうじゃないんですよ。本当に不思議なんだけど、SHOW-YAをやめてソロの最初のレコーディングの時に、SHOW-YAのボーカリストがロスの方だったので、ロスで恵子に会いたいって言われて、私は彼女に相談を受けているんです。日本に来た時もゲーセンに行ったりとか、仲良くしていたし、その時のライブも見に行っています。その次のボーカルが決まった時も、そのボーカルをどうやって育てていけばいいかって、メンバーに相談されていました。
-それもすごい関係ですね。戦友とでもいうのか…
寺田 「私に聞く?」みたいな感じで(笑い) でも実際、sun-go(五十嵐美貴)は毎晩のように家に来ていて、「こうしたいんだけど、どうやったらそういう風になるかな」とか相談されていた。一緒にやっていた時にあまりしなかった話を、外に出ると「こういう話をするんだ」っていうくらいでした。
-逆に離れて、今まで見えなかったメンバーの新たな一面にも気付いた?
寺田 そうだね。私も気付いたし、メンバーも私を頼ってくれた。ありがたいなと思った。SHOW-YAが解散する98年のライブに私、歌いに行ってるので。
-不思議な関係ですね
寺田 だから、本当に奇跡のバンドっていうか、普通ではちょっと考えられない関係っていうか、出会うべくして出会ってしまった5人なのかなって感じがします。
-デビュー当初、ロックをやりたかったのにポップス系でしたよね。反抗というか、抵抗はなかったですか
寺田 反抗したというか、まず1枚目が「素敵にダンシング」というシングルだったんだけど、レコードはA面とB面じゃないですか。それが嫌だったので、両A面にしてもらって、1曲はダンサブル、もう1曲はメタル。そこは譲れないっていうか。
-SHOW-YAのデビュー当時、女性バンドは数少なかったですよね?
寺田 だから、事務所もレコード会社も、どう売っていったらいいのかを、誰も分からない状態でのスタートでしたね。当時は音楽業界というよりも、ザ・芸能界みたいな感じだったから、その中で自分たちのポジショニングをどうやったらいいのかが、自分たちも分からなかった。だから、「これをやってください」って言われたら、「やんなきゃいけないんだ」と思っていた。「まずはみんなが分かりやすい、聞きやすいような音楽をやってくれ」って言われて、ポップス系の曲をやった。その中にメタルな曲も入れるんだけど、やっぱりポップス中心の曲が多かったかな。
-「水の中の逃亡者」「孤独のラビリンス」時代はポップなイメージだったのが、「限界ラバーズ」でファッションも含めメタル系になっていました
寺田 26歳の時かな。ビョウを打ったブラジャーで歌うようになったのは。
-それは、やりたいことをやったということでしょうか
寺田 やりたいことじゃなくて…(笑い)。あの頃はテレビ、ラジオ、雑誌と、メディアが限られたものしかなかった時代で、テレビに出るとボーカルしか映らないんです。バンドなのに自分しか映っていなくて、SHOW-YAが売れないのは私のせいって、ちょっと悩む時期に突入していたんです。それがちょうど24歳の前ぐらいで、すごく落ち込んで、悩んでいたんです。それで24歳で、レコーディングでロスに行った時に、「お前はまだ20代で30歳にもなってないんだから、音楽人としてはまだ生まれてもいない」と言われたんです。「今は学びの時だから、いろんな経験をして、30歳になって初めて産声をあげて、そこから人として作られていって、年を重ねるごとにその人の人生が歌になっていくんだ」って。「だからお前にはまだ何年もある。その間にいろんなものを吸収して、勉強しろ!」って言われたんです。そこからちょっとだけ悩むのをやめて、「これも経験」と思ってやっていくうちに「限界ラバーズ」につながるんです。でも、そのちょっと前は苦しかったすね。売れないから。
-えっ、売れてなかったですか?
寺田 売れてないですね(笑い) 売れているように見せているだけで、売れてないです。ロック系の中では多分売れてたと思うし、実際ロック系で何万枚売ったらすごいって言われるところには行っていたけど、私の中では「こんなもんじゃない!」っていうのがあったから。だって世の中を動かそうと思ってる人間なんで!
-それがどうして下着にビョウを?
寺田 「限界ラバーズ」のアルバムを出す時に、この曲でヒットしなかったらSHOW-YAは終わりかもしれないって。覚悟を決めなきゃって、そう思った時、お風呂に入る時って1枚ずつ脱ぐじゃないですか。それでその下着姿の自分を見て、「お前、これかっこいいじゃん!」って思って。事務所に電話して、「下着持っていくからビョウ打って」って。それであの形になったんです。なんかもう裸一貫じゃないけど、全てをさらけ出して、それでダメなら諦めもつく。今までは「これをやってみたらどう?」でやってきた中で、自分たちのやりたいこと、やらなきゃいけないことを懸命にやってきたつもりだったけど、もうこれが最後だと思ったら、思い切りやるしかないと思った。それで見た目も、髪形も全部自分で考えて、それで勝負かけたのが「限界ラバーズ」だったんです。



