フィギュアに恋して

4歳の結弦は氷に恐怖感がなかった、すぐに1回転半

<羽生ヒストリー(1)>

 14年ソチ五輪フィギュアスケート男子金メダルで来年の平昌五輪で連覇を狙う羽生結弦(22=ANA)は現代最高のスケーターといわれる。「羽生ヒストリー」では、幼少期から世界を代表する選手になるまでの成長をたどる。(敬称略)

北日本大会で3位に入った羽生結弦と山田真実コーチ(山田真実氏提供)
北日本大会で3位に入った羽生結弦と山田真実コーチ(山田真実氏提供)

 99年、4歳の春。羽生は、仙台市泉区の自宅から歩いてすぐの「泉DOSCアイスアリーナ(現アイスリンク仙台)」で、初めて氷の上に立った。おかっぱ頭にヘルメット。細い体に肘当てと膝当てをつけ、リンクサイドから大きく助走をつけて、リンクへと突っ込んでいった。

 地元で指導に当たっていた山田真実元コーチ(43)が「ちょっと待って!」と言う間もなく、そのまま氷の上へ。走って数歩で、頭から豪快に転んだ。フィギュアスケートを始める子どもには、氷への恐怖感を持たせないため、最初は四つんばいでリンクに入れ、ゆっくり立ち上がらせる。それでも、転べば「怖い」という感覚が生まれるのが普通だ。山田コーチは「結弦には、それが最初からなかった」と振り返る。羽生は頭から転んだ後もすぐに立ち上がり、何もなかったように、約10分間、よちよち走り続けた。

 先に4歳上の姉が競技を始め、母に連れられリンクに来ていたのが、きっかけだった。黙って見ていられず、リンク脇で走り回っていた。植木鉢を倒したり、他の子にちょっかいを出したり…。最初は、試しで遊びのように滑っていたが、すぐに非凡な才能を見せる。ある日、1回転アクセル(1回転半)のやり方を教わると、その場ですぐに回ってみせた。技術を即座に理解し、再現できる頭と体が既に備わっていた。

 初めて宮城県大会に出場したのは5歳の時。試合で1分間のプログラム「草競馬」を滑り始めると、ロックミュージシャンのように、頭を上下に振り続け、自分の世界に没頭した。スピンなどの振り付けはすっぽり抜けたが、最後の決めポーズだけは、ばっちり。「見せる」意識も自然と身についていた。

 8歳の時、地元北海道に戻った山田コーチと入れ替わりに教わることとなったのが、日本男子初の世界選手権メダリスト佐野稔を育てた名コーチ、都築章一郎(79)。羽生に世界の扉が、開き始めた。【高場泉穂】(つづく)

<誕生~小学生>

 1994年(平6)12月7日 宮城県仙台市に生まれる

 1999年(平11) フィギュアスケートを始める。山田真実コーチに師事

 2001年(平13) 七北田小に入学

 2002年(平14) 都築章一郎コーチに師事

 日本のフィギュアスケートは長年、世界のトップレベルで争ってきた。冬季五輪では3大会連続でメダルを獲得し、男子の羽生結弦は2018年平昌五輪で2連覇がかかる。日刊スポーツでは、そんな冬季スポーツの花とも呼べる競技をさまざまな角度から取材、分析し、長期連載を掲載していきます。

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