サンプラザ中野くん 俺は応援歌を歌うべくしての喉を持っている/ロングインタビュー&写真5カット

芸能人や著名人が、生きざまや本音をじっくりと語るロングインタビュー。トップスターや時の人の言葉には、人の心を揺さぶる力があります。

ヒーロー&ヒロイン

佐藤勝亮


コロナ禍でも、日本中にエールを届けている-。ロック歌手サンプラザ中野くん(61)。11月10日にミニアルバム「旅人よ~The Longest Journey 25th Anniversary Version」をリリースした。「俺は応援歌を歌うべくしての喉、声質を持っている」。還暦を迎えても、バッターボックスに立ち続けている。

★25周年のリメーク

「旅人よ-」は、爆風スランプが1996年9月に発売した“真の応援歌”だ。発売から25年の時を経てリメークし、ミニアルバムに収録した。きっかけは三つあった。

「25周年のキリの良さと、(元猿岩石の)有吉(弘行)君が、結婚というおめでたい話があったからですね。あとはコロナ。コロナの中で苦しんでいる方が多くいる。『Runner』が応援歌のようになっていますけど、爆風スランプの中では、この曲が真の応援歌なので」

偶然にも、歌詞は「36・5度のカラダで 乗り越えなければならないんだな」など、コロナ禍に重なる部分がある。同曲は、日本テレビ系バラエティー「進め!電波少年」内の企画、「猿岩石ユーラシア大陸横断ヒッチハイク」のために制作された。

「そもそも、曲を作って応援に行くという話ではなかったんです。ただ『応援に行ってくれ』と言われたんです。で、これまでの放送を見させていただいたら、本当に感動しちゃって。それで本当に純粋な気持ちで『応援はもちろんですが、応援歌を作って行きたい』って言って採用されてインドまで行きました」

有吉は帰国後、大スターになった。今や、テレビで見ない日はない。

「日本に帰ってきて大スターになって。歌まで出しちゃって、『すごいなー』って思っていました。今や大テレビタレントになったわけだけど、変わらない姿勢が彼にはあったんだなって思いますね。媚(こ)びを売らない、強いモノに巻かれるわけでもなく、弱い者をいじめるわけでもない。謙虚だけど、言うことは言うじゃないですか。バランス感覚にすごくたけている。そのバランスを保つのもすごく難しい事だと思うので、すごく努力されている。自分に厳しく、人に優しくっていう感じなんだろうな、偉いなって思います」

今や国民の多くが応援歌として認識している、88年発売の「Runner」は、オリジナルメンバーの江川ほーじんがバンドを脱退する際に書いた曲だった。

「彼と自分たちに向けて書いた曲だったので、決して応援歌という感覚ではなかったんです。僕は歌い始めた20歳くらいの時は、応援歌とか、泥臭い歌を歌わないつもりだったんですよ。世の中を斜めに見た感じの歌を歌いたくて。でも『Runner』を作る時に、初めて『直球で勝負したい』と思ったんです。それがオリジナルメンバーで出せる、最後の曲だったから。『本当の今のストレートな気持ちを、世の中に伝えたい』って思って、自分でもまじめに向き合って書きました。でも、それは応援歌じゃなかった。自分たちの歌だったから」

 

 

★元気の源は阪神と新庄

その後、テレビ番組で楽曲が使用され、人気が日本中に広がった。「なぜ応援歌になったのか」-。3年ほどモヤモヤした後、理由がわかった。

「ずーっと『何で応援歌になっちゃったんだろう』って、自分の中で不本意だった。どうしてだろうって考えたら、中学校の時に応援団をやっていたんですけど、その時に先生が『中野の声で応援されたら、選手頑張れるわ』って。それを急に思い出して『あ、そうか。俺の声は応援向きの声なんだ。応援歌に間違えられる歌詞で、応援する声が響いたんだ』って。だから俺は、応援歌を歌うべくしての喉、声質を持っていると。そこで、受け入れたわけです」

その後にできたのが、「旅人よ-」だった。では、これまでずっと日本中を応援してきた中野の、元気の源は何だろうか-。

「今年は、阪神ですかね(笑い)。10歳の時からファンで、ずっと応援しているんですけど。最近ずっと弱かったのに、今年すげえなって。(スポーツ専門配信サービス)DAZNにも入りまして、全試合見ていました。特に前半戦の佐藤(輝明内野手)君と中野(拓夢内野手)君の、笑顔を絶やさない活躍っぷりに本当に元気をもらいましたね。同じ中野として、中野君の背番号のユニホームも買いました。あと、一番好きな選手は(現日本ハム監督の)新庄剛志君なんです。もう、新庄君は世の中を超越しているじゃないですか。だから来年のファイターズ、新庄君から目が離せないなって思っています」

日曜日のヒーロー。ニューアルバムの事、ライブの事、黙々とインタビューに答えたサンプラザ中野くん=2021年11月4日

日曜日のヒーロー。ニューアルバムの事、ライブの事、黙々とインタビューに答えたサンプラザ中野くん=2021年11月4日

★HEROはフレディ

そんな中野にとって“ヒーロー”は誰なのか。

「音楽で言うと、QUEENのフレディ・マーキュリー。本当にあの人、おかしいんですよね。かっこよすぎて笑っちゃう。本人も、笑われることがかっこいいことの一部と分かっているような気がするんですよね。だからお笑いとして、僕らがアレンジしても、QUEENは喜んでくれる懐の深さがある。つまり、ユーモアを理解している人物がかっこいいな、ヒーローだなと思います」

26日には、2年ぶりのツアーが北海道からスタートする。今度は中野が“ヒーロー”になる番だ。

「他のイベントとかも無くなっていた状況なので、本当に2年ぶりですね。やっとコロナがちょっと収まってきた感じはあるので、これから寒くはなるんですけど、雪解けみたいな、春みたいな感じで。ちょっとキラキラした感じで歌えるんじゃないかなと思うので、みんなもキラキラした感じで見に来てくれたらと思います」

日曜日のヒーロー。ニューアルバムの事、ライブの事、黙々とインタビューに答えるサンプラザ中野くん=2021年11月4日

日曜日のヒーロー。ニューアルバムの事、ライブの事、黙々とインタビューに答えるサンプラザ中野くん=2021年11月4日

★常に前向き61歳

昨年、還暦を迎えたが、まだまだバッターボックスから引き下がるつもりはない。

「歌手ってみんなそうだと思うんですけど、売れたり売れなかったりしているじゃないですか。野球で言えば、常にバッターボックスに入るための準備をして、球が来て打つわけです。そこで打てるのか、打てないのかというのは、試行錯誤するんですけど、結局辞めるまでは現役なんです。常に前向きに『どうしたらヒットを打てるんだろう』って、ずっと考えて。今年の阪神で言えば、佐藤くんは前半すごかったけど、後半はビックリするくらい三振し続けて(笑い)。でも、『なんか魅せてくれるよなー』って期待しちゃうんです。だから俺も、そういう存在でい続けたいって思っています」

渋谷の街並みをバックにポーズを決めるサンプラザ中野くん(撮影・酒井清司)

渋谷の街並みをバックにポーズを決めるサンプラザ中野くん(撮影・酒井清司)

▼パッパラー河合(61)

サンプラザ中野くんとは46年前、高校1年生からの付き合いで当時はホント遊んでばかり。毎日のように授業をサボっては「喫茶店に行こうぜ!」なんてやってました。でも不良じゃないんです。怠惰なんです。もちろん当時は一緒にバンド活動するとは夢にも思ってない。19歳でバンド活動を開始。まさか還暦過ぎまで続くなんて夢にも思ってない。いまは「80歳までは活動したいよな~」なんて話してますけど、今までのパターンを踏襲すれば夢とも思ってない「まさかの100歳超え」もあると期待してます。共に頑張ろうぜ!

◆サンプラザ中野くん(さんぷらざ・なかのくん)

1960年(昭35)8月15日、山梨県生まれ。早大在学中の84年に、爆風スランプのボーカルとしてデビュー。「Runner」「大きな玉ねぎの下で」「リゾ・ラバ」などのヒット曲を発表。99年に芸名をサンプラザ中野としてソロで活躍。08年に現名に変更。趣味は健康、株。181センチ。血液型B。

(2021年11月21日掲載。所属、年齢など当時)