柔道女子70キロ級では田知本遥(26)が今大会日本女子初の金メダルを獲得。姉愛(27)との絆が躍進を支えていた。

 「姉でお願いします」。表彰式後、1人だけが観客席から試合フロアに降りられる。田知本は愛を指名し、金メダルをその首にかけた。「心臓が飛び出るかと思ったけど、本当にうれしい」。むせび泣く姿を見ると、涙はあふれ出た。それまでは感情を処理できずに流せなかった涙。姉の姿はシンプルで、最も強烈だった。「すごく大きな存在。さまざまな試練があったけど、サポートしてくれたのでここまでこられた」。

 4月の最終選考会2大会の敗戦で、姉は78キロ超級代表から漏れた。物議を醸す選考に、遥は「なんでだめなんですか」と関係者に号泣して訴えた。打ちひしがれた。ただ、姉は違った。「私もどん底でしたけど、妹が迷っている姿を見てまずいと」。自分の失意は封印した。食事に誘い、出稽古に同行した。幼少期、畳がすり切れた自宅の6畳間で組み合った時も2人。「嫌だなぁ」と言いながら打ち込んできた原点を思い出させた。

 遥はその真意を分かった。「優しかったので戸惑いましたけど、その分頑張らないと」。30日前に送られたのは手製の日めくりカレンダー。中には「自分が行けなかった理由があるとしたらサポートをすること」と記されていた。

 「技に気持ちを全部乗せた。返されたらしょうがない」。見守られながら、持ち味の大外刈りを思い切って仕掛ける。最大のヤマ場は2回戦のポリング戦。第1シードの優勝候補に有効を先取されたが、大外刈り2本で逆転勝ち。勢いに乗った。アルベアルとの決勝も大外刈りで攻め、勝機を作った。横四方固めで抑えて一本勝ち。その瞬間、静かに目を閉じた。

 試練には14年2月の薬問題もあった。国際大会前で不用意に市販の風邪薬を服用。ドーピング検査を考慮し、大会を欠場して緊急帰国した。全柔連から警告処分に「五輪は消えた」とまで思った。遅れを取り戻そうともがいた昨年暮れには帯状疱疹(ほうしん)に。入院先で、リオ行きだけを信じ、腕に点滴のはりを刺したまま1人階段の上り下りを繰り返したこともある。

 昔は姉妹げんかをしているときほど、成績が良い法則があった。それも、もう終わり。「最高の気持ちで終われた」。支え合った戴冠への道だった。【阿部健吾】

 ◆田知本遥(たちもと・はるか)1990年(平2)8月3日、富山県生まれ。小杉中-小杉高-東海大-ALSOK。08年から世界ジュニア選手権2連覇。全日本選抜体重別選手権優勝3度。12年ロンドン五輪7位。得意は大外刈り。168センチ、70キロ。