16年リオデジャネイロ五輪銀メダルの日本(多田、山県、桐生、小池)は途中棄権となった。

第1走者の多田が快走し、第2走者の山県につなごうとしたものの、まさかの連係ミス。バトンが手渡せず、第3走者桐生、アンカー小池にバトンが届くことなく、東京五輪が終わった。放心状態の多田は「バトンミスの原因は分からないですが、また見直し、改善していきたいと思っています」と言うのが精いっぱいだった。

リレーのみ出場となった桐生は「攻めてこうなった結果」と冷静に振り返りつつ「実際、世界でリレーでも個人でも離されているというのは結果的にも記録的にも出ているので。それを深く受け止めたい」と敗因を分析。山県は「今回は金メダルを目指し、いろいろな人がいろいろな思いを持って五輪に準備してきたと思う。そういうものを全てレースに出し切って後悔ないように勝負にいこうというところでしたが、残念な結果」と肩を落とした。

予選通過は全体9番目のタイム。瀬戸際の突破からの下克上に挑んだが、メダルには届かなかった。5年前のリオデジャネイロ五輪銀から東京五輪へ向け、個の強化を最優先に掲げた。ただ、総決算の東京五輪にみなの調子が合わず、理想的な勝負をできなかった。

自国開催ならではの苦悩-。精神的に安定した状態を保つのは、難しい現状があった。16年リオデジャネイロ五輪の銀メダルで注目が集まった侍たちは、五輪の開催反対を訴える一部の人の矛先にされた。トップ選手には自称「看護師」から封書が届いていた。「選手からオリンピックを辞めるように言わないのか」、「自分勝手すぎる」などとストレートな言葉が記されていた。SNSにも反対の怒り声は届いた。意識しないようにしても胸は痛くなる。東京五輪の花形として「顔」のような存在ゆえ、競技に集中する難しさに直面。決戦前の国立競技場前にも「五輪を辞めろ」とデモの声は響いていた。それが環境のすべてを物語っていた。

とはいえ、侍たちは最後まで諦めていなかった。薄氷の突破だった予選の夜の選手村。指揮を執る土江コーチの部屋に選手、スタッフが集まった。予選映像を何度も確認し、メダルの余地を探った。映像を見つめる顔は勝負師だった。「9レーンは最高だ」「まだ伸びる」。土江コーチの言葉に耳を傾けながら、弱気な者など誰1人いない。決勝当日の昼にも、再び部屋に集合し、最後の詰めの作業をした。日本陸連の科学委員会が出した予選データを確認。バトンゾーンタイム、各区間の記録、受け渡し位置などの数字を1つ1つ目にし、そのすべてを0秒01を刻み出せる糧とした。

ただ勝負の世界は甘くなかった。大事な、重要な五輪舞台で、まさかの連係ミスが出てしまった。