今大会での現役引退を表明して臨んだ大迫傑(30=ナイキ)が日本勢2大会ぶりの入賞を飾った。

粘り強い走りで、2時間10分41秒の6位。メダル圏に41秒差に迫る好走。走り終えると、62位の中村匠吾(富士通)、73位の服部勇馬(トヨタ自動車)、2月末に日本新記録を樹立した鈴木健吾(富士通)らの名を挙げながら、マラソン王国復活のバトンを託した。世界記録保持者のエリウド・キプチョゲ(ケニア)が、同種目3人目の2連覇を飾った。

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残り約1キロ、大迫は右の脇腹を手で押さえた。北大の名所クラーク像を通り過ぎ、緑豊かなキャンパスを抜けた。顎が上がり、体は右に傾いた。それでも視線は前を追った。最後の直線。右手、左手を順に挙げながら「これが最後だと思って走った」。笑顔でゴールし、直後に涙が出てきた。

「皆さんにメダルを期待してもらって、僕自身も『チャンスがあれば』と思った。みんなメダルを狙って走っていた。自分自身の力は出し切れたと思います」

次がある-。その言い訳をなくした。レース10日前、自身のSNSで「8月8日のマラソンを現役選手としてのラストレースにします」と表明。その覚悟で先頭集団に居続けた。30キロ過ぎでキプチョゲが仕掛け、2位集団4人からも遅れた。一時は8番手まで下がりながら、また集団を視界に捉える位置まではい上がった。自らの走りで「キプチョゲ選手は強いが、あそこの(2位)集団はあと1歩」と世界との差を示した。

強豪の長野・佐久長聖高、名門早大と進んだ陸上人生。大学では「世界」を意識した。超一流が集まる米国の「ナイキ・オレゴンプロジェクト」参加を志す覚悟もそうだった。当時は違うメーカーの靴を履いていたが「強くなるためなら、血が出ようが、どんな靴でも履く」と訴えた。3年時に練習参加が実現。再挑戦時には「練習生」の扱いからアジア人初のチーム入りへと駆け上がり、今がある。

大迫が去るマラソン界は22年世界選手権(米国)、24年パリ五輪へと進む。選手としては最後の取材エリア。中村、服部、鈴木らの名を挙げ「この6番手がスタート」と力強く言った。

「日本人のマラソン王国としてのプライドを持って、戦っていってほしい。僕自身も6番から少しずつ先へというところを手助けできる活動、挑戦をしたい」

現役最後の走りに、生き様がにじんだ。【松本航】

◆大迫傑◆ おおさこ・すぐる。1991年(平3)5月23日、東京・町田市生まれ。金井中から佐久長聖高へ進み早大、日清食品グループを経てナイキ・オレゴンプロジェクトへ。3000メートルの7分40秒09、5000メートルの13分8秒40はともに日本記録。マラソンでも日本記録を2度。自己ベスト2時間5分29秒は日本歴代2位。170センチ、52キロ