16年リオデジャネイロ・オリンピック(五輪)男子73キロ級金メダルの大野将平(29=旭化成)が、2連覇を達成した。

決勝では前大会銅メダルのシャフダトゥアシビリ(ジョージア)に延長の末、優勢勝ち。日本男子の連覇は04、08年と66キロ級を制した内柴正人以来で4人目。日本柔道では、史上7人目となる五輪連覇の快挙となった。日本男子は競技初日から3階級全制覇となった。

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この景色を一生忘れない。聖地で9分26秒の激闘を終えた大野は一礼すると、天井を見上げた。五輪2連覇。偉業を達成しても、表情を変えずに畳を下りた。「やっと時代と歴史をつくれた。リオは若さと勢いで勝った金メダル。今回は我慢と自分の柔道スタイルで勝ち取れた。『自分は何者か』ということを証明するために戦うことができた」。男子代表の井上監督と抱き合うと感情があふれ、涙がこぼれた。 山口県から五輪王者の古賀稔彦さんらを生んだ柔道私塾の名門「講道学舎」に中1で入塾。入門試験では同期10人で8番手と弱かった。実力者で兄の「大野哲也の弟」と呼ばれ、挫折も味わった。ただ、心が強かった。両手で組んで投げる正統派の柔道を習得するために「ぼろぞうきん」となって気持ちだけで猛稽古に励んだ。「追い込まれた時に真価が問われる。その生活に耐えたのは誇り」。 講道学舎で培った原点を胸に刻み、逆境に負けない揺るぎない強さを身に付けた。国際大会は15年2月以降負けなし。その「圧倒的な強さ」でリオ五輪も制覇。東京五輪で2連覇を目指すために山道に例えて「高さも違う。違う登り方をする必要がある」と約1年間休養した。母校、天理大の大学院で得意技の大外刈りをテーマにした修士論文を執筆。18年2月に本格復帰したが、技の破壊力は健在で勝負師としての実力を存分に結果で示した。 東京五輪は「2度目の集大成」と位置づけた。64年東京五輪で柔道が初採用され、その57年後に再び日本武道館で行われる自国開催の五輪は特別だった。 「柔道発祥国の柔道家として誇りを持って戦い、絶対的な強さで勝つ」 コロナ禍でその思いはさらに高まった。天理大で指導する穴井隆将監督は「この5年でパワーやスピードの数字は劇的に変わっていないが、それぞれが色濃く自信が深まった」と表現。 00年シドニー五輪100キロ級王者の井上監督らもなし得なかった2連覇の偉業。「自分自身で柔道の歴史をつくる」。計り知れない重圧の中、昨年2月の国際大会以来となる1年5カ月ぶりの実戦となった2度目の大舞台。「集中・我慢・執念」を胸に刻む最強の柔道家が、その言葉通り聖地の畳の上で日本柔道を体現した。【峯岸佑樹】

◆大野将平(おおの・しょうへい)1992年(平4)2月3日、山口県生まれ。東京・世田谷学園高-天理大-旭化成。13、15、19年世界選手権優勝。16年リオ五輪優勝。右組み。得意技は大外刈りと内股。世界ランク13位。趣味は風呂。海外では「サムライ」と呼ばれる。170センチ。