世界ランキング5位の西矢椛(もみじ、13=ムラサキスポーツ)が15・26点で金メダルを獲得した。13歳でのメダル獲得は、1992年バルセロナ大会競泳女子200メートル平泳ぎで優勝した岩崎恭子(14歳6日)を抜き、日本史上最年少メダリストとなった。男子の堀米に続きストリート男女で日本勢がアベックVを果たした。

中学2年生が最後まで笑顔で滑りきった。予選2位で決勝進出した西矢が、1発の技で競う「ベストトリック」の後半で大技を立て続けに決めて逆転した。3本目でガッツポーズが飛び出す4・15点。続く4本目で4・66点とスコアを伸ばし、ライバルたちを引き離した。「途中までは勝てないと思っていたけど、周りの人が励まして、いけるよって言ってくれて。(気分が)乗れてうれしかった」。日本史上最年少のメダル獲得という称号も合わさり、喜びが止まらなかった。

モットーの「笑顔で楽しく滑りたい」は、競技を教えてくれた父や兄から教わった言葉だ。その心は「笑顔にしていれば、何か良いことがあるかもしれない」。この日も終始笑顔。競技をやり抜き、「みんなが「おお~」とか言ってくれるから、それが楽しいから笑顔で。はい」と笑った。

がむしゃらに練習するタイプではない。「(練習は)3時間くらい。学校が16時くらいに終わって、ご飯食べて17時くらいに家を出て、17時半くらいにパーク着いて。21時くらいには終わります」。競技を辞めたいと思ったことはなく「新しい技に乗ったり、スケボーの友達と一緒に滑る時が楽しいです」と話し、「遊び」の延長線上で五輪の金メダルをつかんだ。

五輪出場が決まっても「見たことないし、イメージわかない」と語り、12年ロンドン、16年リオデジャネイロもニュースで見聞きした程度。印象に残ったシーンを尋ねられても「ないです」と言うほどだった。他競技のアスリートが口にする「(オリンピックには)魔物がすんでいた」というような言葉は、西矢にとっては全く無縁だった。それもそのはず。「(他の試合と)緊張感はそんなに変わらなかったです」と平然と語り、「他の人も応援してくれているから、最後まで諦めずにやろうと気持ちが変わっていきました」と初々しく話す。

椛という名前は、「木に花が咲くように強く生きてほしい」との願いを込めて名付けられた。大舞台でも全く緊張感を感じさせない滑りは由来通り、強く、そして華やかに表彰台の頂点をたぐり寄せた。【平山連】

<西矢椛(にしや・もみじ)>

◆生まれ 2007年8月30日、大阪府松原市出身。

◆きっかけ 2歳上の兄、颯(はやて)さんの影響で5歳から始める。

◆特徴 「『スケートボードに乗れてる』。バランス感覚がすごくて、きれいで無駄がない。そういうところが魅力的な滑りにつながっている」(日本代表の早川大輔コーチ)

◆実績 当時小学校6年生で19年世界最高峰の大会「Xゲーム」準優勝。21年世界選手権準優勝。

◆他に好きなスポーツ サッカー。Jリーグのセレッソ大阪のファン

◆息抜き ニンテンドースイッチ。好きなゲームは「マリオカート」と「フォートナイト」。

◆オリンピックについて 「ニュースで見たくらいで、(12年ロンドン、16年リオデジャネイロも)誰がメダルを取ったか分からないです」