五輪初出場の大橋悠依(25=イトマン東進)が、女子400メートル個人メドレーで金メダルを獲得した。予選3位通過で迎えた午前決勝で、自身の日本記録に1秒26差に迫る4分32秒08で逃げ切った。同種目の金メダルは、00年シドニー大会の田島寧子の銀を上回り日本人初。昨年12月には行き場をなくして引退さえ頭をよぎった危機から、劇的に復活した。競泳陣では今大会メダル第1号となった。

涙が込み上げた。表彰台の真ん中に上がる直前。「オリンピック、チャンピオン」とコールされて、目を赤くした。「まだ夢みたい。自分が金メダルをとれるなんて」。センターにあがる日の丸に、また泣いた。

400メートル個人メドレー決勝。得意の背泳ぎで先頭に立ち、平泳ぎを終えて2位と1秒99差。「300メートルから350メートルで攻める」。ライバルに追い上げを振り切った。「余力はなかった。掲示板を見て逃げ切れたと思った」。目を見開いて、右手で水面をたたいた。

「もう信頼できません」

「そうですか」

昨秋、ブダペストの空港で平井コーチと衝突した。競泳国際リーグから帰国後の練習方針で意見が合わず、我を忘れて涙声で食ってかかった。平井チームから離脱。家族に電話して「どうしようかな。もうやめようかな」と弱音を吐いた。

五輪半年前、師弟に亀裂が入りかけた。同12月の日本選手権は欠場した。表向きは「体調不良」として、期間中は地元・滋賀で過ごした。テレビでも日本選手権は見なかった。帰京しても1カ月近く別練習。関係者は「もう戻らないかな、と本気で思った」と言う。

年末に練習施設が閉鎖されたことで、たまたま合同練習になった。しかし最初は身の置き所がなかった。仲間の輪から離れて、ひと言もしゃべらず練習した。離脱中も毎日連絡をくれた先輩の清水咲子に「大橋、そんな隅っこにいるなよ! こっち、おいで」と強引によばれた。救われた。

「本当の自分は全然ポジティブじゃない。すごくダメダメな時もあるし、暗くなって1人でいることもあった。平井先生や仲間が声をかけ続けてくれた。これは皆でとった金メダル」

19年世界選手権で銅メダルを獲得。しかし最近2年は古傷の左膝に痛みが出るなど、思うような結果が出なかった。「金メダルはほぼあきらめかけていた。自分にはできないと思った」と声を震わせた。不調だった6月には平井コーチに「400メートルをやめる選択肢もあるんだぞ」と言われた。「一晩考えた。メダルがとりたい。メダルに近いのは絶対に400メートル。自分でチャレンジすると決めた」。腹をくくって最後の1カ月を過ごした。「平井先生を信じてよかった。自分を信じて泳いだ。うれしい気持ちと不思議な気持ちでいっぱい」。涙があふれて止まらなかった。【益田一弘】