シンクロナイズドスイミング日本代表の井村雅代ヘッドコーチ(HC、66)は、昨年のリオデジャネイロ五輪で、デュエットに2大会、チームに3大会ぶりのメダルをもたらした。正式種目となった84年ロサンゼルス五輪から中国代表時代も含め、表彰台を外さない。そんなメダル請負人の原点は、中学教師時代にあった。素行不良の生徒に対し、体を張って、本気になる。40年以上にわたるコーチ生活を振り返り、その指導哲学を語った。

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校舎の窓は割れ、たばこの吸い殻が落ちている。73年4月、天理大を卒業した井村HCは、大阪市立住吉中学の体育教師になった。当時の中学校は荒れに荒れていた。

井村HC 不良の生徒から「殺すぞ」としょっちゅう脅されました。まさに命懸けでしたね。

隠れてたばこやシンナーを吸う生徒もいる。手を焼き、中にはあきらめて注意すらしなくなった教師もいた。

井村HC 私は正論でいくから。たばこを吸っている子の手を引っ張って職員室に連れて行った。見て見ぬふりが最低。生徒も怒ってほしいんです。あたらずさわらずでいくから、もっと悪いことをする。体を張ると通じた。真剣勝負でぶつかるしかない。あの時の経験があるから、どんな子でも本気になれば絶対に心が通じるとの自信ができた。日本代表の指導なんて楽ですよ。シンクロが上手になりたくて勝負に勝ちたいと思う子を相手にするんだから。

中学校の水泳部の顧問をしていたとき、名門、浜寺水練学校(大阪)からコーチの勧誘を受けた。メダル請負人も最初は試行錯誤の連続だった。

コーチになって4年目。世界選手権銅メダリストの双子の姉妹、藤原昌子、育子の指導を始めた。あるとき、2人の演技が微妙にずれていたが、理由が分からない。「だいたい合っている」と言うと、姉妹は落胆した表情になったという。屈辱だった。

井村HC コーチの私より、選手が上だった。あれはつらかった。

藤原姉妹の動作をノートに細かく書き出した。泳ぎの軌跡、手の角度、指の形…。とことんまで同調性を研究した。

井村HC なめられてたまるかと頑張った。選手より上になるために。今は、選手のレベルが低い。もっと私を困らせろと言いたい。

指導法はスパルタ式といわれるが、厳しいだけではない。

井村HC 「違うだろ」「分かってないな」だけの言いっ放しにはしません。どう直すか、具体的に説明する。それでも直らないと、指示が悪いと思って、あの手この手を考える。選手にしてみれば、逃げ場がないから、厳しいと感じるのかも。選手が上手にならないのは、私がいなくてもいいということ。最近、選手たちに言うんです。「残り少ない人生。だからこそ、選手の役に立ちたい」と。

井村流の練習は過酷だ。1日12時間以上の練習は当たり前。選手にやらせるだけではない。井村HCも常に一緒で、プールサイドから離れない。

井村HC ふんぞり返って勝てるならそうしますけど。それでは勝たれへん。私が目を離したら、選手はうまくならない。だからウオームアップから見ます。

選手をギリギリまで追い詰め、質を高める。

井村HC 人間はひるむ。そこを無理やりに引っ張る。選手に試されていると思っています。しんどいふりをしたりする選手もいるが、私は引きません。不可能なことは言っていない。ちょっと無理して頑張ればできること。できるまでやりましょうと、勝負です。

座右の銘は「敵は己の妥協にあり」。

井村HC 選手に偉そうに言うが、私にだって仏心がある。頑張っている子を見れば「いいよ」と言ってあげたくなる。でも、そこで「いいよ」と言ったら、そのまま。できるまでNGを突き付け続ける。自分と闘い続けています。

井村HCが大事にしていることの1つに、演技前に掛ける最後の言葉がある。できることの指導はすべてした。あとは選手に任せるしかない。言葉は慎重に選ぶ。過去に最も気を使ったのは中国代表HC時代だった。地元の08年北京五輪。「加油(ジャアヨウ)」の大歓声が響く。デュエットは重圧から4位とメダルを逃す。選手たちは動揺を隠せない。勝負のチーム競技の前日。井村HCは一睡もせずに、最後の言葉を考え抜いた。

井村HC 同じ日本人なら、選手の顔を見て、その時に思ったことを言える。言葉の違う選手に何を言うか。とにかく重圧を取り去ることが大事だと考えたので「ここは北京。あなた方の家で、みんな家族。みんなが応援している。今できる一番の演技をしなさい」と中国語で言いました。

落ち着きを取り戻した選手は、テクニカルルーティン、フリールーティンともに力強く、伸びやかに演技。中国初のメダルとなる銅を獲得した。

10年ぶりに日本代表HCに復帰し、チームでは3大会ぶりのメダルをかけた昨年リオデジャネイロ五輪の演技前、選手たちは恐怖心から、動きに硬さが目立った。

井村HC 直前のアップを見て緊張しているのが分かった。恐怖感を消さないといけない。自信を取り戻させるために、今までの苦闘の過程を振り返って言いました。「私は今回が9回目の五輪。その中で一番きつい練習をしてきた。何百回、何千回と演技をしてきた。これからたった1回やで。たった1回をできないわけがない。どれだけ練習をしてきたのか」。みんなが、うんとうなずいたから、やはりしごきあげてきて良かったと思いましたよ。

多数のメダルを獲得してきた井村HCに、唯一欠けているのは金メダル。現状ではロシアが1つも2つも抜けた存在だ。3年後に迫ってきた20年東京五輪。世界の頂点へ、日本には何が必要なのか。

井村HC 大型化しかない。身長が大きく、脚のきれいな選手。大きな選手は、端々まで神経がいくのに、時間がかかるから、長期的に育てる必要がある。大型化+繊細さ。どれだけ大きな子をそろえられるか。

すでに新チームはスタートしている。リオデジャネイロ五輪代表からは三井、吉田、箱山と3人が引退した。

井村HC 五輪を乗り越えた選手は「ゆるキャラ」ではなくなったが、新しく入った子はだめ。二分化している。頭が痛い。

そう話した名伯楽だったが、表情は充実している。シンクロ人生が続く限り、鬼の仮面をかぶり続ける。【田口潤】

◆井村雅代(いむら・まさよ)1950年(昭25)8月16日、大阪府生まれ。小学3年で大阪・堺市の浜寺水練学校に入門し、中学1年でシンクロを始める。天理大卒業後、中学の教師をしながらシンクロの指導に携わり、78年から日本代表コーチ。84年ロサンゼルス五輪から6大会連続でメダルに導く。06年中国代表コーチ就任。08年北京、12年ロンドン五輪でメダルをもたらす。14年2月に日本代表コーチ、15年からヘッドコーチに復帰。昨年リオデジャネイロ五輪ではデュエットで2大会、チームで3大会ぶりのメダルに導いた。

 

◆シンクロ代表と五輪 90年代まで米国、カナダ、日本が3強。日本は銅メダルが指定席だった。90年代後半からロシアが台頭。それでも日本は弱体化した米国とカナダを尻目にメダル圏内をキープ。その後スペインの急成長、井村コーチに強化された中国にも抜かれ、08年北京ではチーム、12年ロンドンではデュエット、チームとも表彰台を逃した。リオデジャネイロでは両種目で銅。ロシア、中国に次ぐ地位を再確立した。