【2度目の姫野優也】根尾昂の話をしているはずが、自分の課題に踏み込んで…/前編

選手の技術面に加え、人間性やドラマにも迫る田村藤夫氏(63)のプレミアムリポートは、日本ハム姫野優也投手(26=大阪偕星学園)投手の2回目インタビューです。前後編に分けてお送りします。

プロ野球

姫野投手は田村さんのリクエストに両手で力強くガッツポーズ、いつも気さくな好青年だ(撮影・田村藤夫)

姫野投手は田村さんのリクエストに両手で力強くガッツポーズ、いつも気さくな好青年だ(撮影・田村藤夫)

◆姫野優也(ひめの・ゆうや)1997年(平9)4月2日、大阪府枚方市出身。小学4年から野球を始め、中学では枚方ボーイズ。天理高へ進学も野球部の雰囲気になじめず1年夏に退学。しばらく工事現場でアルバイトをしていたが、同年秋に大阪偕星学園に編入学。高野連の規定により公式戦に1年間出場出来なかった。3年夏は、1番中堅手兼投手として活躍。大阪府大会準々決勝では、前年夏の甲子園で全国制覇の大阪桐蔭戦で本塁打を放つ活躍で下し、甲子園大会でも2回戦進出。高校通算26本塁打、走攻守3拍子そろった選手として、15年ドラフトで日本ハムから8位指名。背番号「61」の外野手で入団。20年オフに戦力外、育成契約。背番号は「161」。21年6月に投手に転向。右投げ右打ち、184センチ、96キロ。今季推定年俸440万円。


◆田村藤夫(たむら・ふじお)1959年(昭34)10月24日、千葉・習志野出身。関東第一から77年のドラフト6位で日本ハム入団。93年に初のベストナイン、ゴールデングラブ賞を受賞。93年オフ、巨人長嶋監督からFA移籍でのラブコールを受けたが、日本ハムに残留。96年オフには、ダイエー(現ソフトバンク)王監督から直接電話を受け、移籍を決断した。07年からは、中日の落合監督に請われ入閣。捕手としてONと落合氏から高く評価されたが、本人は「自分から人に話すことではない」とのスタンスをかたくなに守る。42年間のプロ野球生活を経て解説者に。通算1552試合出場、1123安打、110本塁打。@tamu2272

姫野投手は2015年のドラフト8位、プロ8年目を迎えています。21年6月に外野手から投手に登録変更。育成契約から支配下登録を目指す日々です。

ピッチングの課題、野手から投手に転向して直面する難しさ、中日根尾に対する同じ道を歩むから感じること。言葉を選びながら、丁寧に話してくれました。

「僕は成功してるわけじゃない」

取材日の5月13日は、雨天のためロッテ戦(鎌ケ谷)は中止。登板予定のあった姫野投手は練習後、気さくに取材に応じてくれた。

姫野あっ、田村さん、ここにどうぞ座ってください。

田村氏ああ、ありがとう。悪いね、時間作ってくれて。

姫野はい、大丈夫です。

田村氏お疲れさま。今日は試合ができずに残念だったね。

姫野そうですね、やりたかったです。

ルーキー時代の姫野外野手は、「投打二刀流」を極める大先輩・大谷翔平を背にキャッチボール=2016年1月

ルーキー時代の姫野外野手は、「投打二刀流」を極める大先輩・大谷翔平を背にキャッチボール=2016年1月

田村氏この前、根尾の話をしてくれたでしょ? それで根尾が、またこのところ投げ出してね。

姫野ああ、はい、知ってます。

田村氏苦労してるんだよ。投げ出して、また、投げられなくなって。そしてまた投げてはいるんだけど。そういうのって、繰り返すものなのかな? 他の人の話で申し訳ないけど、姫野君はどう考えるかな?

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1959年(昭34)10月24日、千葉・習志野出身。
関東第一から77年のドラフト6位で日本ハム入団。93年に初のベストナイン、ゴールデングラブ賞を受賞。
93年オフ、巨人長嶋監督からFA移籍でのラブコールを受け(日本ハムに残留)、96年オフには、当時の王監督(現会長)から直接電話でダイエー(現ソフトバンク)移籍を決断。07年から中日落合監督に請われて入閣した。
ONと落合氏から高く評価された捕手だが、田村氏はそうした経緯について「自分から人に話すことではない」というスタンスをかたくなに守る。42年間のプロ野球生活を経て解説者に。プロ通算1552試合出場、1123安打、110本塁打。