FC刈谷がついに壁を乗り越えた。日本フットボールリーグ(JFL)昇格を懸けた全国地域サッカーチャンピオンズリーグ(CL)。6年連続でこの大会に挑み、JFL切符(上位2チーム)をつかんだ。

■枚方に続き2枚目の切符

2点目のゴールに喜ぶFC刈谷のFW中野(中央)ら選手たち
2点目のゴールに喜ぶFC刈谷のFW中野(中央)ら選手たち

11月23日、千葉県市原市のゼットエーオリプリスタジアムで行われた4チームによる決勝ラウンド最終日。昇格を争うFC TIANO(ティアモ)枚方(大阪)と栃木シティFCが0-0で引き分け、ともに勝ち点5(1勝2分け)で並んだ。得失点差で上回る枚方(+5)が、まず1枚目の昇格切符を手にした。

そして2試合目。勝ち点2(2分け)の刈谷は、北海道十勝スカイアースに2点差で勝てば勝ち点5で並び、得失点差が栃木(+1)を上回り2枚目の昇格切符を手にする。試合開始から、目の前に“ニンジン”がぶら下がった刈谷の目の色は違った。連動した攻守で相手陣内に押し込み、ゴールへの意欲をあらわにした。

前半15分、左サイドのスローインを起点にFW中野裕太がゴール前へ浮き球のパス。走り込んだMF佐藤悠希が左足で蹴りこみ、先制点を奪う。さらに34分、相手ファウルで得たPKを再び佐藤が決めて2-0。昇格条件をつかんだままハーフタイムを迎えた。

後半もその勢いは止まらない。貪欲に得点を狙い続け、17分にFKを起点にゴール前へ人数をかけて飛び込む。相手選手がクリアしたボールをDF佐々木宏樹が右足で押し込み3点目。後半半ばでの理想的な追加点だ。戦況を鑑みれば、試合の大勢は決まったようなものだった。

4分間のアディショナルタイムを経て、試合終了のホイッスル。快哉を叫ぶとはこのことだろう。歓喜の声とともに強く抱き合う姿は、長いトンネルを抜けたチームの思いがあふれていた。過去5年連続ではね返され続け、「6度目の正直」でようやく開いた扉。2011年シーズンに降格が決まって以来、12年ぶりのJFL復帰となった。

■コロナ禍で見えたサッカー愛

JFL昇格を決めて喜ぶFC刈谷の選手たち。
JFL昇格を決めて喜ぶFC刈谷の選手たち。

この6年間の苦労を知るFW中野に話を聞いた。刈谷に入団した15年シーズンからの挑戦。それだけに実感がこもった。

「うれしいのひと言です。ずっとこの大会で勝てない状況が続いていたので、ようやく勝てたなって。長かったですね…。この6年間、毎年上がろうという目標立ててようやく達成できました」

過去にも多くの実力チームが挑み、結果を出せずに敗退するのを見てきた。地域リーグ優勝に加え、1週間で決勝まで5試合を戦う全国社会人選手権(全社)。それら代表チームが集う全国地域サッカー選手権へと、一戦も落とせない試合が続く。かつてボンズ市原を率いたゼムノビッチ監督は「後がない上に日程を考えれば、世界一厳しい戦いだ」と表現していた。

コロナ禍の今年は全社も中止になるなど公式戦が激減。例年のような過密日程ではなかったが、後がない「サバイバルマッチ」の様相は同じ。壁を乗り越えるためには何が必要だったのか。

「本当に実力だけでは勝ち抜けない。運とか勢いとか、その時の1点が入るかどうかで変わってしまう。毎年、毎年考えてやっていましたけど、やっぱりやり続けるしかないかなと。何で達成できなかったのか?って常に自問自答して、毎年そのところでやり続けるということをやめなかったからこそ、上がれたのかなと思います」

今季はコロナの影響で先の見えないシーズンとなった。だが、見えないからこそ、逆に見えたものもあった。

「サッカーがやりたい、サッカーが好きだ、という気持ち」だった。これまで当たり前に試合があり、不自由なくサッカーができる環境があった。だが不自由さゆえ、以前にも増してサッカーへの思いが強くなった。

「本当に毎年上がれなかったので、気持ち的にはしんどい。特に今年はコロナでリーグ戦とかなかったので、本当に練習とかやっていてもしんどかったです。そういうのがある中で、本当に好きというのが。もっとやりたい、上の方でやりたいという気持ちが強かったので」

中野が在籍したこの6年間で監督は4人代わった。2年前に最終ラウンドを戦った時は、ブラジル人の戦術家ビラ・ヴェイガ監督を招聘(しょうへい)し、ピッチ幅を使ったポゼッションスタイルで壁を破ろうとしたが、目標はかなわなかった。それが今回、就任1年目の門田幸二監督の下で大願成就となった。そこに何があったのか。

「監督がこれをやろうというのを示してくれたので、それに選手が応える。より細かく示していただいたので、みんな同じ方向向けてやれたのかなと思います。この1点が入るか、この1点が守れるか、というところだと思います」

■今そこにあるサッカーを愛せ

最終戦に臨むFC刈谷の先発メンバー
最終戦に臨むFC刈谷の先発メンバー

今大会の1次ラウンドでは、前年に敗れた元日本代表FW高原直泰が率いる沖縄SVを1-0と破るなど、粘り強い戦いぶりが光った。この最終日の北海道十勝戦でも目についたのは、試合開始から試合終了のホイッスルまで、前線から徹底したボールの追い込みだ。

3点差がついた残り時間わずかの中、途中交代した選手は最前線からスライディングタックルを仕掛けてまで、前へボールを蹴らさないように懸命に追い続けた。それに連動するように、次々と選手がポジションを取り、攻守を切り替えてはショートカウンターを繰り返した。

華麗さはない。チーム全体が同じ絵を頭の中に描いて走り、ポジションを取り、体を張る。愚直さ、懸命さ。刈谷サポーターがスタジアムに張った横断幕の1枚「今そこのあるサッカーを愛せ」の文言が重なる。それが、結果として「勝負強さ」となったように思う。

そして中野がこう教えてくれた。

「刈谷では6年目ですけど、自分は他でもこの大会には出ていて、実は今回で8回目です。前所属はガンジュ岩手で、その前にもファジアーノ岡山ネクストで出ています。なので8度目の挑戦でようやく。(JFL昇格は)ほぼ10年間かかりました」

まさしく敗れざる者-。サンフレッチェ広島ユース時代には世代別の日本代表にも選出された選手。横浜FCを皮切りにサッカー選手としてのキャリアを重ね、故郷・愛知でプレーを続ける。今は家庭を持ち、子どももいるという。伝統的にサッカーの街として知られる刈谷市は、サポーター、協賛企業の熱も高く、選手の雇用が守られ、安心して競技に打ち込めているようだ。「すごく周りの環境には恵まれていると思います。まだ上を目指せるところでやれているのは、すごくあります」。

次に目指すところはJ3だ。現時点で31歳だが「まだ上を目指したいという気持ちが強くなった。そういうところを目標にしてやっているので。もっと上に上がっていきたい。やれる限りはやりたいです。刈谷を上に上げたいという気持ちが強い」。

サッカーは夢があるスポーツだと思いますか? そう問うと「そうです」と、大きくうなずいた。長いトンネルを抜けた苦労人の最高の笑顔に、見ているこちらも幸せな気分を味わった。

■北のハンディとも戦った十勝

試合終了のホイッスルに喜ぶFC刈谷の選手たち。手前は北海道十勝スカイアースDF成田
試合終了のホイッスルに喜ぶFC刈谷の選手たち。手前は北海道十勝スカイアースDF成田

その一方で、決勝ラウンド3敗という悲哀を味わった北海道十勝の高勝竜監督の言葉もまた、印象的だった。9年ぶりに北海道勢として決勝ラウンドへ進出。だが、あらためて環境面のハンディを知った。北海道の十勝平野の真ん中、河東郡音更(おとふけ)町を拠点とする。

「言い訳を言うつもりはないですが、自分も北海道へ初めて行って、冬はマイナス20度。凍り付くところでほとんど練習が不可能。体育館も中学校だったり、小学校を借りて、広さもフットサルコート1面くらいしかないところでやっている。そういうところに驚かされた」

グラウンドが使える4月になっても、夜の練習とあって地面が凍る。常にケガとの隣り合わせだという。練習試合の相手は高校生か、チーム内の紅白戦。そんな環境から選手補強もままならない中で、ハンディとも闘い、JFLへあと少しというところまでたどり着いた。

「決勝ラウンドでも1発目落として、2戦目も頑張ったけど負けて、そして3戦目に恥ずかしい試合をしたらいかんと言って、相手にも失礼だし。最後まで戦うというところができていたというのは、褒められるところです。月並みですけど、またこの舞台に立ちたい。簡単じゃないのは分かっているけど、この悔しさを忘れずに来季また、この舞台に戻ってきたい」

毎年行われるJFL昇格を目指した地域リーグの戦いには、心惹かれるものがある。クオリティーの高い選手がそろうJリーグと比べるまでもなく、試合のエンターテイメント性は高くない。だが勝負をかけて懸命にプレーする選手の姿に心を強く揺さぶられる。

新型コロナウイルスという未曾有の事態に陥った2020年。サッカーに限らず、すべての人がさまざまな困難と向き合っている。目の前に立ち塞がるさまざまな壁。自分を信じ、はね返されても、再び立ち上がっては挑み続ける。そんな姿は、尊くも美しい。

【佐藤隆志】(ニッカンスポーツコム/サッカーコラム「サカバカ日誌」)