私の母校、土浦日大(茨城)の硬式野球部が、31年ぶりに夏の甲子園出場を決めました。ノーシードというだけでなく、初戦では初回に6失点を喫し、0-7からの大逆転勝利。決勝も一時は5点差をつけられながら粘って延長に持ち込み、優勝。喜びと同時に、失敗しても諦めないことの大切さなど、多くを学んだ夏。そして8月は、今までに経験したことのない楽しみが1つ増えました。

 早稲田実業(西東京)の清宮幸太郎選手のような高校時代の注目度はなくても、期待を抱かせる高卒ルーキーが、私の担当する鹿島アントラーズにもいます。清宮選手と1歳違いのFW安部裕葵(ひろき、18)。清宮選手が高校通算本塁打タイ記録となる107号を放った、7月28日の練習後には「他のスポーツ全般的に見ますけれど、清宮選手すごいですね。ホームランもですけれど、人間的にすごいなと思います。僕も負けないように頑張ります」。翌29日は、その言葉通りにリーグ戦ではクラブで2番目に若い18歳6カ月での初ゴール。それでも「正直、遅かったかなと思う」と言って、取り囲んだ報道陣を驚かせました。

 巧みなドリブルなどの足技、状況判断でゴールに迫ります。「得点に絡むことが持ち味。今まで絡めていなかったことが不思議なくらい。みんなに見てもらえる場で結果が残せたのは良かった」。ゴールシーンの述懐でも、スルーパスを出したMFレアンドロをたたえることを忘れない大人の対応。「パスが9割。僕は、ただただジョギングくらいの感覚で走った。自分勝手という言い方が正しいかは分からないが、自分が動いていれば、先輩方が動いてくれる」と表現法も独特でした。

 報道陣から日本代表DF昌子源が「(安部)裕葵の動きは、ドリブルの仕方とか人とはちょっと違う。紅白戦とかで1対1になっても、面倒くさいと思うシーンが多い」と話していたと伝えられると、「源くんのディフェンスのほうが、面倒くさいと思いますけどね」と即答です。

 4月1日のJ1第4節大宮アルディージャ戦でデビューし、同22日の第8節ジュビロ磐田戦では初先発。6月21日の天皇杯2回戦マルヤス岡崎戦では2ゴール1アシストを記録するなど全5得点に絡む活躍でした。7月22日の国際親善試合セビリア(スペイン)戦ではマン・オブ・ザ・マッチを受賞。鈴木満強化部長からも「本山(現J3ギラヴァンツ北九州)みたい。すごい」と絶賛されていました。

 メキシコ1部パチューカに移籍したFW本田圭佑が経営に携わるエスティーログループのジュニアユースチーム「S.T.FC」出身のプロ1号で、本田から指導を受けたことも。東京都出身ながら「有名じゃない学校を強くすれば、自分の評価も上がると思ったので」とサッカーでは無名の広島・瀬戸内高を選んで進学。高校3年時に広島で高校総体が開催されることも計算の上。計画通りに高校総体出場を果たし、優秀選手にも輝きました。有名強豪校入学時から注目を浴びた清宮選手とは、対極の高校人生でした。

 同じように、鳥取・米子北高時代にはスター選手ではなかった昌子も清宮選手に対して、こう言います。「プロに行くのは確定だと思う。107本を打っても、プロに行ってからが大事。107本の記録をつくっていた人も、その後の活躍はなかったんですよね? 僕みたいに、高校時代は無名でも、鹿島でレギュラーになり、日本代表に選んでもらえるようになる人もいる。プロに行ってからもすごい活躍をしている清原選手や、中田翔選手みたいになること。そうなればすごいし、スポーツ界が盛り上がる」。プロの先輩としてのエールであり、チームメート安部へのエールでもありました。

 安部は「得点するとメンタル的には自信になる。でも地に足をつけて、日々の練習に取り組みたい。結果を出せればいいんですけれど、うまくいかない時も絶対にある。結果に左右されず、常に課題に向き合っていくことが一番大事なこと。自分のポリシーです」と、浮かれてはいません。報道陣に「今日の点数は?」と問われ「点数は付けられない。良かった自分も、悪かった自分も、自分ですから」と答えたことも。評価するのは他人。それも貫いています。

 2020年東京五輪世代。すでに年代別候補には選出されています。同世代は飛び級選出のFW久保建英(FC東京)に注目が集まっていますが、安部も私の“推しメン”。プレーに加えて、本田圭佑に続くような発言力にも、ぜひ注目してください。【鎌田直秀】

 ◆鎌田直秀(かまだ・なおひで)1975年(昭50)7月8日、水戸市出身。土浦日大-日大時代には軟式野球部所属。98年入社。販売局、編集局整理部を経て、サッカー担当に。相撲担当や、五輪競技担当も経験し、16年11月にサッカー担当復帰。現在はJ1鹿島、J2横浜FCなどを担当。