同郷の選手は応援したくなる。サッカー担当になった4月。選手名鑑を手にして最初にしたのは、同郷である鹿児島出身の選手を探すこと。そこで見つけたのが、セレッソ大阪のMF福満隆貴(25)だった。

 出水中央高から九州総合スポーツカレッジへ進み、ヴェルスパ大分、レノファ山口を経て、今年C大阪に加入した。そんな苦労人が「まさかこんなすごい人と対戦できるなんて想像すらしてなかった」と話したのが、10月4日のルヴァン杯準決勝第1戦(ヤンマー)で激突したガンバ大阪のMF遠藤保仁(37)だ。

 「実は小学生のとき、会ってるんです」。福満を含む鹿児島の小学生選抜の練習に、当時すでにプロサッカー選手だった遠藤が来訪。質問する機会が設けられたという。「詳しくは覚えていないんですけれど、かっこいいなと思ったことだけは覚えている」とうれしそうに明かした。

 06年ドイツW杯から14年ブラジルW杯まで3大会連続で出場し、日本代表で152試合の歴代最多出場記録を持つ遠藤。W杯期間中は鹿児島の県内ニュースで毎日のように「遠藤特集」が放送されていた。当時、サッカーに疎かった私でも覚えているのだから、サッカー少年ならもっと記憶に残っているだろう。「たくさん放送されてましたよね。すごいなーと思って見ていました」。福満も憧れのまなざしを向けていたサッカー少年の1人だった。

 遠藤に、サッカー教室などで教えた少年と、プロの世界で対戦した経験があるか尋ねた。「聞いたことないですね。少ないんじゃないかな。やっぱり同じ鹿児島から(選手が)出てきてほしいし、活躍してほしいと思う。彼(福満)だけじゃなく、うち(G大阪)の赤崎とかにも」と期待した。

 雲の上の存在だった選手と同じピッチの上で勝負できたことは、大きな刺激だ。「やっぱりすごかった。想像以上。どんなときも落ち着いているし。貫禄みたいなものを感じた。自分ももっともっと頑張らないと」と福満。今季は「ルヴァン杯組」としてクラブ史上初のタイトル獲得に貢献したが、来年は主力組としてプレーしてほしい。

 そして、ひと回りも年下の選手にも多大な影響を与えているプロ20年目の大ベテランのさらなる活躍にも期待したい。同じ鹿児島出身として、ひっそりと応援している。


 ◆中島万季(なかしま・まき)1988(昭63)年8月11日、鹿児島県薩摩川内市生まれ。高校野球やアメリカンフットボール、高校ラグビーなどの取材を経験し、4月からサッカー担当。日刊スポーツ大阪本社に勤務する16年まで、鹿児島以外で暮らしたことのなかった生粋の「さつまおごじょ」。