多くの日本人選手が欧州に活躍の場を移し、5大リーグでもプレーするようになった今、ピッチ外のビジネスでも奔走する日本人がいる。
ワールドフットボールコネクション(WFC)代表の近江孝行さん(43)は、ドイツを拠点にサッカーに関わる事業を展開する元プロ選手だ。
滋賀出身の近江さんは、小6で本格的にサッカーを始めた遅咲きながら、草津東高では3年連続で全国高校選手権に出場。3年時には決勝で大久保嘉人擁する国見(長崎)に敗れたものの、主戦場の右サイドでスピードを生かした突破からのアシストでチームに貢献し、準優勝の立役者となった。
高校卒業後は近大に進んで4年間プレー。4年時に主将も務めることになったが、この間ずっと抱いていたのが、海外への思いだった。
高3の滋賀国体選抜として参加したオランダ・ドイツ遠征が、そのきっかけ。「飛行機の窓から見下ろしたドイツの街並みに、無数のサッカーグラウンドが広がる光景を目の当たりにして『こういうところでサッカーがしたい』と強烈に思った」。すぐに実現することはできなかったが、在学中のオフ期間に海外へ足を運びながら、思いを強めていた。
大学卒業後に満を持して渡独。サッカー文化が根付いたドイツの地で、2年半プレーした。ここで現役はひと区切りと考えた近江さんは、大学在学中からの知人だった、元Jリーガーの宮沢浩氏を頼って、ニュージーランドへ渡る。そこでドイツ1部ブレーメンなどで活躍し、ジェフユナイテッド市原(当時)でもプレーした元ニュージーランド代表FWウィントン・ルーファー氏のスクールで、コーチとしての第1歩を踏み出した。
しかし並行してプレーしていた2部リーグで最優秀選手に選出されたことを機に、同国1部のヤングハート・マナワツ、オークランド・シティーとステップアップ移籍。オークランドCではクラブW杯出場を目の前にして契約満了となったが、その後もオーストラリアの実質2部にあたる州1部でプレーした後、インド1部エア・インディアで引退するまで、各国で戦い続けた。
11年に30歳で引退すると、現役時代の経験を糧にセカンドキャリアとしての起業を決意。自身の経験をそのままビジネスへと昇華させた。
柱となるのは「長期・短期のサッカー留学支援」、「遠征・マッチメーク事業」「運動・サッカースクール運営」の3つで、どの事業に対しても重視しているのは「誠実さ」だ。自身が選手時代は、現在ほど留学ルートが確立されておらず、詐欺に近いような会社も少なくなかった。「うさんくさいところがいっぱいあった。自分がやられて嫌だったことは絶対にしない」。そう心に決めて動き出した。
留学エージェントとしての業務は、現地でのビザ取得から生活サポート、負傷した際のの対応まで、スタッフが直接寄り添う体制を整えている。信頼される企業として成長し、現在はフランクフルト近郊を中心に約40名の留学生を抱えるまでに。ドイツ3部リーグでプロ契約を勝ち取る選手も輩出している。
留学に関わる業務以外では、Jクラブのドイツ遠征サポートや、ブンデスリーガの名門アイントラハト・フランクフルトの日本向け広報・プロモーションにも携わり、元ドイツ代表FWルーカス・ポドルスキのアパレル展開にも協力。故郷の滋賀県でもコーヒー焙煎(ばいせん)事業「ヒラベルグ・ロースタリー」を稼働。「地元の山である比良山(ひらさん)と、ドイツ語のBerg(山)を掛け合わせたネーミング」というこだわりのコーヒーで、新たなつながりを生み出すなど、事業の幅を広げている。
夢と闇のどちらも見てきた近江さんは、周囲に「デュアルキャリア」の大切さを説き続けている。「夢を追いかけることはもちろん美しいし、素晴らしい。でもプロになれるのはほんの一握りの選手で、プロになれたとしても平均引退年齢は20代半ばと厳しい現実がある。だからこそ、サッカーをしているうちから次のキャリアを考えてもらうようにしている」。自らの経験を伝えることで、その後の充実した人生につなげてもらうことを考える。
最終的な目標としているのは「日本人が生涯スポーツを趣味として楽しめる文化を広めること」だという。
日本では教育的な側面が強い中で発展してきたが、スポーツは楽しむものだという思いがある。「ドイツではグラウンドの横にカフェがあって、そこで老若男女がさまざまな人が競技を楽しみ、語り合う光景がある。スポーツをきっかけに、地域の人々が集うような環境を日本にも作りたい」。最近は障がい者サッカーの支援にも関心を抱くという近江さんからは「スペインには障がい者サッカーのプロリーグがあり、満員のスタジアムでプレーする環境がある。スポーツができる環境を、あらゆる人に提供したいんです」と熱い思いが止まらない。
滋賀から世界へ飛び出し、そこで得た経験を地域へと還元しようとする男の挑戦は、これからも広がり続けていくことになりそうだ。【永田淳】
◆近江孝行(おうみ・たかゆき)1982年(昭57)10月6日、滋賀・大津市出身。小6でサッカーを始め、草津東高では3年連続全国高校選手権出場。2年時に8強、3年時に準優勝し、日本高校選抜にも選出された。近大卒業後にドイツに渡り、2年半プレー。その後ニュージーランド、オーストラリア、インドでプレーし、11年に現役引退。ドイツ・フランクフルトでワールド・フットボール・コネクション(WFC)を創業し、留学支援など幅広い事業を展開。








