日本(FIFAランク23位)が7大会連続7度目のワールドカップ(W杯)出場を決めた。後半途中出場のMF三笘薫(24=サンジロワーズ)が試合終了間際に殊勲の2得点を挙げる大活躍。オーストラリア(同37位)を2-0で下したチームのヒーローになった。序盤1勝2敗の窮地から6連勝。敵地で勝ち点3を奪い、最終予選1試合を残し、11月開幕のW杯カタール大会の切符を手にした。
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衝撃の2発を見舞ったのは、国際Aマッチ2試合目の三笘だった。後半39分に左サイドに立つと、44分。DF山根がライン際で体を投げ出しながら折り返したボールを右足ダイレクトで左隅へ。控え選手もなだれ込むようにピッチへ入り、倒れ込む三笘の上に選手の山ができた。「川崎F時代から(パスが)マイナスにくると分かっていた」。鮮やかな連係だった。
後半ロスタイム4分、W杯を手中にする追加点まで奪った。左サイドから得意のドリブルで仕掛けた。時間を使う選択肢もあり、1度は立ち止まった。その視線には、疲弊した相手守備が空けたスペースが見えていた。「1人崩せば進入できる」。最大の武器であるドリブルで内に切れ込み、そのまま右足を振り抜いた。「どんな状況でも、1分でも結果を残さないといけない世界。出場時間に関係なく結果を出す」。まさに有言実行の1発だった。
引き分けでもいい条件で、あくまで得点を奪う選手交代をした指揮官。見事に応えた三笘。負傷で不在だったFW大迫にかわって1トップで先発したFW浅野が、雨でぬかるんだピッチを走りまくり、相手を消耗させたことも大きかった。全員でアクシデントをも力に変え、三笘がゴールをこじ開けた。
昨夏の東京オリンピック(五輪)では、メダルがかかったメキシコとの3位決定戦でゴール。大舞台でも力を発揮してきた。この日も「まったくいつもと変わらない。自分と会話しながら、いつものルーティンで」と、涼しい表情で振り返った。
川崎Fユースからトップ昇格できたにもかかわらず、筑波大進学を選択した。理由は「自信がなかったから」。4年間でドリブルに磨きをかけ、自分だけの間合い、仕掛けのタイミングを作り上げた。東京五輪やベルギーでの挑戦を経て「着実に成長してここに来た」。プロが怖かったあのときとはもう違う。日本代表の英雄になった。
パナソニックスタジアム吹田での初戦でオマーンに敗れ、負けが先行して一時は監督の進退も問われた。逆襲でつかんだカタール行き。肩を組み全員で歓喜の輪を作り跳びはねた。日本を苦しめたシドニーの大雨も、最後は参ったというように降りやんだ。タフに戦い抜いた森保ジャパンの最終兵器が、W杯への扉を開いた。【岡崎悠利】
<日本の過去のW杯戦績>
’98フランス大会 1次L
’02 日韓大会 16強
’06 ドイツ大会 1次L
’10 南ア大会 16強
’14ブラジル大会 1次L
’18 ロシア大会 16強
’22カタール大会 ?
▼W杯初出場からの連続出場 日本は初出場した98年フランス大会から7大会連続7度目の出場。初出場からの連続出場記録では、30年の第1回ウルグアイ大会から、既に22大会連続出場を決めている「王国」ブラジルに次いで史上2位となり、50年ブラジル大会での初出場から6大会連続で出場した「母国」イングランドの記録を抜いた。なお、韓国は86年メキシコ大会から10大会連続11度目の出場を決めているが、初出場は54年スイス大会。その後は7大会連続で本戦出場を逃していた。

