サッカーの元日本代表監督で、国際オリンピック委員会(IOC)委員を長年務め、日本サッカー協会会長として2002年の日韓W杯を成功させた岡野俊一郎氏が肺がんのため2日に亡くなっていたことが3日、分かった。85歳だった。

 岡野さんは創業明治6年、140年以上続く東京・上野の和菓子の「岡埜栄泉総本家」の代表取締役でもあった。老舗の5代目として、豆大福が有名なお店を切り盛りしながらサッカー、広くスポーツ界に貢献してきた。

 同じようにのれん分けされた5店のうち、現存するのは岡野さんの上野のお店だけ。なくなった4店の1つが文豪夏目漱石の小説「三四郎」に登場するなど、漱石ゆかりの一品を大事に守り、伝えてきた。

 岡野さんの「岡埜栄泉」は上野と大丸東京店の2店舗。しかし、都内には同じ屋号を名乗る和菓子店があり、その数は数十ともいわれる。それぞれに歴史があるが“乱立”の理由には、長く商標登録がされなかったことだという。

 2年ほど前、このことについて問うと、いかにも岡野さんらしい答えが返ってきた。「それぞれのお店が頑張っていて、そこには家族も従業員もいるだろうから、いまさらうちが訴えるだとか、そういうことは考えていませんよ」。

 小さなことは気にしない。全体を見渡す大人物だった。それはサッカー、スポーツ界全体を考えて行動した岡野さんらしかった。もっとも、豆のしっかりした名物・豆大福の味に自信があったからこその発言だったと思う。【盧載鎭】

 ◆岡埜栄泉(おかのえいせん) 創業1873年(明6)。所在地は東京都台東区上野。店は「岡埜栄泉総本家」と名乗る。成り立ちは同社公式サイトに「慶応、明治初期に浅草の駒形『岡埜栄泉』から親戚筋の5軒に暖簾(のれん)分けされたうちの1軒。暖簾分けされた5軒は本家を含み、いずれも岡埜(岡野)姓であったが、弊店を除きいずれも閉店」とある。豆大福(1個240円=税込み)が有名でどら焼き、きんつば、くり蒸しようかんなどもある。