元日本代表MFのセレッソ大阪森島寛晃会長(53)が27日、クラブOBで23日に72歳で亡くなった堀井美晴(ほりい・よしはる)さんの通夜に弔問に訪れた。兵庫県伊丹市で営まれ、関係者100人以上が手を合わせた。

C大阪の前身ヤンマーの黄金時代にFWで活躍した堀井さんは、現役を引退後はC大阪でスカウト、G大阪でコーチ、川崎Fで監督、磐田でヘッドコーチなどを務め、サッカー界に多大な貢献をしてきた。

数カ月前に急に体調を崩して病気療養中だったが、23日午前4時47分、病院で息を引き取った。

森島さんは東海大第一(現東海大静岡翔洋)に在学中、堀井さんに将来性や人間性を見込まれ、91年春にヤンマーへ入団。その後はC大阪でエース、日本代表でW杯2大会に出場し、クラブで社長を経て現在は会長職に就く。堀井さんの尽力でC大阪の歴史が大きく変わった。

「本当に急なことで驚いています。残念です。高校生だった私をヤンマーに導いてくださり、堀井さんがいなければ入団できていませんでした。感謝の思いしかありません」

恩人の訃報に「ミスターセレッソ」と呼ばれた森島さんは、何度も言葉を詰まらせた。

森島さんの4学年下の西沢明訓さん(49)も、堀井さんがほれ込み、清水東高から95年にC大阪入り。すぐにオランダの名門フォレンダム留学という英才教育の道を与えられ、その後に日本代表入り。02年W杯日韓大会は、森島-西沢のホットラインも大きな武器になった。

「私が高校2年の時から学校に何度も足を運んでいただき、C大阪に入団することになりました。吉村さんと堀井さん、2人のおかげです」と、西沢さんはヤンマーのレジェンドで監督も務めた吉村大志郎さん(享年56)の名前も出し、恩人に感謝していた。

 

◆主な参列者 鬼武健二、梶野智、森島寛晃、沓掛秀樹、西沢明訓、高祖和弘、岡中勇人、実好礼忠、木山隆之(順不同、敬称略)

 

◆堀井美晴(ほりい・よしはる)1953年(昭28)3月16日、静岡・藤枝市生まれ。FWで藤枝東高からヤンマー(現C大阪)入団。80年日本代表入り、国際Cマッチ出場。引退後はC大阪スカウトなどを経て、01年に当時J2川崎F監督就任。その後は滋賀・草津東高コーチ、神戸国際大監督、桑原隆監督の下で磐田ヘッドコーチ、川崎Fユース監督、京都大ヘッドコーチなど歴任。173センチ、65キロ。