[ 2014年2月16日17時28分 ]

 東日本大震災で被災した冬のアスリートの「卵」たち男女14人が16日、成田空港からソチへ出発した。

 22日までの7日間、五輪競技を観戦するほか、選手村などの施設の見学もする予定で「一流選手のプレーを感じる貴重な機会」と目を輝かせる。

 青森、岩手、宮城、福島、茨城各県の中学生たちで、日本オリンピック委員会が被災地支援の一環で派遣した。

 仙台市のアイスホッケーチーム「伊達フェニックス」に所属する中学2年野々村光純君(14=宮城県石巻市)は「震災直後はホッケーどころじゃなかった。続けるのは無理かなと思った」と、被災当時を振り返る。

 自宅もホッケーの道具一式も、津波に流された。リンクは壊れ、練習環境が悪化。一時は競技をやめることも考えたが、被災地支援事業でプロ選手と交流し、支援物資の道具を手にして「やっぱり続けたい」との思いを強くした。

 野々村君は、津波で祖母を亡くした志摩丈虎君(14)と中学入学後に一緒にチームに入り、石巻市から仙台市へ1時間半かけて練習に通う。「練習のためなら早起きもするし、帰宅が遅くなっても弱音を吐かない。好きなんでしょうね」と、野々村君の父大顕さん(53)。

 キャプテンの相沢拓耶君(15)は両親が経営するコンビニが被害に遭った。厳しい環境の中、仲良く練習を積み重ねてきた3人。「一緒に行けるのはすごくうれしい。パスの技術やシュートの打ち方を生で見たい」と胸を高鳴らせる。

 茨城県ひたちなか市の中学2年志関弘平君(13)は、今年1月に開かれた県総体中学生の部の、アルペン回転・大回転で優勝した。茨城県にはスキー場がなく、震災前は毎週末、朝4時に自宅を出て福島県内のゲレンデに通った。地元の少年スキーチームの練習にも参加させてもらい、仲間もできた。

 しかし東京電力福島第1原発事故の風評被害で、慣れ親しんだスキー場は来客数が激減。リフトも運転を一部休止したため、昨年からやむなく栃木や福島の別のスキー場に練習拠点を移した。チームも参加者が減り、解散してしまったという。3歳で初めて滑って以来、通い詰めたゲレンデを離れ、寂しさは募る。

 将来の夢はプロスキーヤーとして五輪の舞台に立つこと。「福島でお世話になった人の分もしっかり見て来たい」。本場の風景を目に焼き付けるつもりだ。