往路4位に終わった東洋大は、1区にエース服部弾馬(4年)を投入して、先制攻撃で主導権を握ろうとした。レースはスタート直後から各校の1区が服部をマークして、全員が様子をうかがう遅い展開となった。服部は「みんながあれほど警戒してくるとは思わなかった」と振りかえるほど、互いをけん制しあいながらのゆっくりしたテンポで、レース序盤は流れていった。

 服部を起用したからには、リードを広げて2区の山本修(2年)につなげたい。服部はチーム戦略を理解しており、ゆっくりした展開では後続に差をつけられないと判断。4・7キロ付近のコースが大きくカーブした地点で、一気に加速した。「前から、あそこでスパートしようと思ってました。理由は、誰もあそこで僕がスパートするとは考えていないと考えたからです」。瞬間的な速さに、集団はあっという間にばらけた。ついていけたのは東海大の鬼塚(1年)と早大武田(4年)のみ。

 そのまま、服部が揺さぶりをかけながらの展開になるかと思われたが、すぐに後続が追いつく。服部は「前半がゆっくりだったので、みんなも余力があったんだと思います。それが誤算でした」と言った。そのまま、先頭は6人ほどの集団で区間終盤へ。その時には、服部の頭の中には「後続に差をつけて」の思いよりも「絶対にトップを守る」へ、意識は切り替わっていた。「相手は1年生ですし、絶対に負けられないと思いました。相手も必死なのは良く分かりましたし、僕も苦しかったですが、負けられませんでした」。

 2区への中継地点の約500メートル手前で服部はタスキを手に持ち、スパート。鬼塚が追いすがるが、1秒の差をつけて2区山本修につなげた。

 1区で大差をつけられなかった東洋大は2区山本修が区間11位、5区橋本が同12位と苦しんだ。3区口町は同3位、4区桜岡が4位と踏ん張っていただけに、東洋大としての往路4位は不本意な結果となった。酒井監督は「1区で弾馬が前に出た時、あのまま行って欲しかった。山本修は力をつけてきたが、ラスト3キロで落ちてしまった。4区、5区はしっかり走らせたかった。往路優勝を取りたかっただけに、悪い往路タイムでした」と、率直に振り返った。

 東洋大のチームスローガンは有名な「その1秒をけずりだせ」。酒井監督はスローガンを決めた際に「1秒をけずりだせ、というフレーズもあったんですが、周りの方と相談して、『その』を付け加えました。指示語があることで、1秒がより鮮明になると思ったからです」と、意味を説明したことがある。

 この日、服部は後続に差をつけるレースはできずに終わった。それでも酒井監督は何が何でもトップを守った服部の姿勢に満足そうな顔を見せた。「区間賞は絶対条件と思ってました。それでも、あの条件で絶対に負けられないというレースをして、1年生に負けなかったのは、4年生のプライドだと思います」。

 服部を代表する東洋大の走りの根底には「その1秒」への強い情熱がある。服部は1秒差で鬼塚に勝った。このスピリットが受け継がれていくのが、東洋大のたくましさでもある。