女子やり投げの北口榛花(24=JAL)が、歴史的な銅メダルを獲得した。5位で迎えた最終6投目で63メートル27をマークし、メダルを引き寄せた。記録を確認すると、涙を流しながらチェコ人のコーチ、デービッド・セケラック氏と抱擁を交わした。五輪を含めて日本勢の女子フィールド競技では史上初のメダル。24年パリ五輪の金メダル獲得に向けて、大きな1歩を刻んだ。

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大粒の涙を、日の丸にくるまって隠した。北口は順位が決まり、国旗を両手にトラックを駆ける。高校3年時に世界ユースを制したときはできず「ウイニングランは自分の夢だった」という念願。顔はくしゃくしゃだった。

「うまくいかなかった時期もたくさんあった。海外で過ごす時間が長くて、家族と一緒に過ごせなかったり、友達と一緒に遊べなかったり、コーチとたくさんケンカしたり…」。日本勢で57年ぶりの決勝進出を果たした東京五輪。予選で痛めた左脇腹の影響で12位に終わり、その後は3カ月やりを持てなかった。復活を遂げて世界の舞台に戻ってきていた。

ドラマは、最終投てきに残していた。5投目を終えて5位。「乗り越えなきゃいけない局面だと思った。高校時代は6投目に強かったので“6投目できる子”だと思ってやりました」。放物線を描いて突き刺さったやりを見届けた。メダル圏内に未達と勘違いして座り込んだが、後方に映し出された電光掲示板を見て驚いた。「表示を見て『え、2番じゃん』って」。

スタンドのセケラック・コーチとハイタッチしたが、勝ったと思えなかった。東京五輪金メダリストの中国選手を含めた後続の結果次第では、4位に落ちる。「絶対ダメだ」と不安だらけの北口に、コーチは「試技を見るな」と声をかけた。スタンドに顔を向けながら結果を待つ。1つ順位を下げたが、最終の中国選手はファウル。投てき種目のみならず、フィールド競技では日本女子初のメダルが決まると、コーチと抱き合った。

運命を変えてくれた同コーチは、19年から師事する。北海道・旭川東高時代の15年に世界ユース選手権を制したが、日大では指導者に恵まれず、停滞した。日大3年時の18年11月、フィンランドで行われた国際講習会に参加して、同コーチと知り合った。指導者がいない自身の状況を憂い、会ったばかりのチェコ人コーチに食い下がって指導を頼んだ。コロナ禍ではチャットアプリを使って、慣れないチェコ語で練習メニューをやりとり。世界と戦うために、なりふり構わず技術を吸収した。

コーチは日本選手団のスタッフではないが、この日も朱色の代表ウエアを着て応援してくれた。現地に入ってからは「気を使ってくれたのかな」と、日本食を提供する店に連れ出され、一緒にカツ丼や親子丼をほお張った。「チェコに家族もいながら、長い移動もたくさんして来てくれる」。感謝の思いが募った。

24年パリ五輪の前哨戦となる来年の世界選手権は、拠点のチェコから車で600キロほどのブダペストで開催される。「近いから車で行くとコーチが言っていました(笑い)。同じようにメダルを取り続けて、最終的には1番いい色のメダルを取りたい」。“金メダル級”の笑顔で、そう宣言した。【佐藤礼征】

○…北口の父の幸平さん(56)は旭川市内のホテルで製菓料理長を務めるパティシエでもある。愛娘のメダル獲得に「びっくりしました。最後よく投げたなと思います」と笑顔をみせた。この日はメダル獲得をテレビで見届けた後、娘の母校である旭川東の夏の高校野球北北海道大会の準決勝を観戦するため、旭川スタルヒン球場へ足を運んでいた。53年ぶりに決勝進出した同校にも「楽しみですね。頑張ってほしい」と期待していた。