国内リーグの分裂などが問題視され、8年前の日本バスケットボール協会は国際連盟から制裁を受けていた。日本協会事務総長やBリーグ初代チェアマンなどの要職を務め、現在日本バレーボールリーグ機構の大河正明副会長(65)は当時の泥沼の状態を知る1人だ。サッカーJリーグからバスケの世界に転身し、日本協会の改革に尽力した。約半世紀ぶりとなる自力での五輪切符獲得。当時を振り返るとともに、今回の快挙を喜んだ。
16年リオデジャネイロ五輪に向けてセルビアで行われた世界最終予選。当時の日本は、ラトビアとチェコに完敗して五輪行きを逃した。当時Bリーグチェアマンだった大河氏は試合後、強化責任者の東野智弥技術委員長と、苦い酒を飲みかわした。ドナウ川がゆったりと流れる様子を眺めながら「日本がこういった相手と互角に戦えるようになるには、何年かかるのかな」と意見を交わした。
大河氏のX(旧ツイッター)アカウントのトップページには、当時に撮影したドナウ川の写真が掲載されている。「あのときの気持ちを忘れないようにと、SNSでいちばん上のところに置いている」と明かす。
15年に川淵三郎氏とともに、サッカーからバスケットボールの世界へと転身した。当時の日本バスケは国内リーグが2つに分裂。組織統治(ガバナンス)の欠如を指摘され、国際連盟から制裁を受けていた。日本協会事務総長としてガバナンス改革に取り組みつつ、Bリーグの立ち上げに奮闘した。3本柱として当時から取り組んでいたもう1つのテーマが、代表チームの強化育成だった。
48年ぶりとなる自力での五輪切符獲得。そこに至るまでの道のりは一朝一夕ではない。「16年Bリーグ誕生がターニングポイント。ファンが増え、アリーナもできはじめ、それに伴いバスケットボール事業が大きくなった。一流外国選手が来日するようになり、国内でも強度の高い試合ができるようになった」と背景をひもとく。
Bリーグ各クラブが運営するユースチームが充実し、高校バスケも活況。海外に留学する選手も増えている。大河氏は「サッカーのJリーグ誕生後、W杯で日本代表がスペインやドイツから勝利を挙げるのに30年かかった。バスケも20年ほどすれば、米国とまでは言わないけれど、欧州のトップクラスなどと互角に渡り合える日がくるのでは」。日本バスケは、これからまだまだ強くなる。【奥岡幹浩】
◆大河正明(おおかわ・まさあき)1958年(昭33)5月31日、京都府生まれ。京大卒業後、81年三菱銀行に入行。10年にJリーグ入りし、14年常務理事に就任。15年に退任後、日本バスケットボール協会専務理事事務総長、Bリーグ理事に就任。その後、Bリーグ初代チェアマンや日本協会副会長を務め、20年に退任した。現在はびわこ成蹊スポーツ大学学長、一般社団法人日本バレーボールリーグ機構副会長を務める。

