もう、8年半も前になる。2008年度の全国高校ラグビー大会。濃く鮮やかな「ロイヤルブルー」のジャージーに身を包んだ常翔啓光学園(大阪)が、花園で7度目の頂点に立った。

 スターは決勝の御所工・御所実(奈良)戦で3トライを挙げた3年のWTB国定周央。現在、日本代表7キャップを持つNO8金正奎(25=NTTコミュニケーションズ)や、14-15年シーズンにトップリーグトライ王となったFB山下楽平(25=神戸製鋼)ら下級生も躍動した。

 しかし、その常翔啓光学園は、そこから1度も花園の舞台に立てなくなった。昨年の大阪府予選(第3地区)では、準々決勝で大産大付に0-83と大敗。04年度に名将・記虎敏和監督に率いられ史上2校目の花園4連覇(当時の名称は啓光学園)を成し遂げた歴史を知るファンには、想像ができないかもしれない。名門の現状を知るべく、6月17日に常翔啓光学園のグラウンドを訪ねた。

4月に完成したスポーツクライミングの壁をバックに、練習する常翔啓光学園の選手たち
4月に完成したスポーツクライミングの壁をバックに、練習する常翔啓光学園の選手たち

■14年にスポーツコース廃止

 「しつこくいけよ!」「もっと低くやろ!」。そこには練習着を泥だらけにしながら、ゴールを背負ってのタックル練習に励む選手たちがいた。13年4月に就任したOBの川村圭希監督(35)が教えてくれた。「この春からコーチをしてくれている則竹(浩司)先生にも、啓光へのリスペクトがあって。初めての試合前、選手へ話をした後に『僕の方に啓光のジャージーがずらっと向いていて、ゾクゾクしました』と言っていたんですよね」。大阪桐蔭出身の則竹コーチは、常翔啓光学園が頂点に立った08年度の花園に出場して16強入り。則竹コーチと同学年の私も、兵庫の公立校時代に「ケイコウ」と名付けられた練習を繰り返したことを思い出した。

 ライバル校の選手が憧れ、全く無関係な高校までもが練習をまねしたり、BKのサインプレーをコピーする。そんな存在が同校だった。では、近年の低迷の原因は何なのか。関係者から聞こえてくるのはコース受験者の減少などを理由に、14年度の入学生から廃止されたスポーツコースの存在だ。

 それまでは「ラグビー部=スポーツコース」。部員は1学年約30~40人で、3学年合わせると100人に届く年もあった。それが、今は部員約40人。同校が最後に花園に立った8年半前は、現3年が小3だった。部員のほとんどが花園を沸かすロイヤルブルーを、生で知らない。川村監督は今のチームに「正解を知らない」という言葉を用いた。ここ数年は「この練習を頑張っても、ホンマに勝てるん?」という空気が流れたという。指揮官はそれを1つの方向へ向けるために考え、もがいた。

 川村監督 僕が啓光中の監督をしていた時に「高校の試合を見に行く?」と聞くと、全員が手を挙げた。「レギュラーがやっているプレー=日本一」と自然に頭に刻まれていたんです。個人にしても「あの先輩の、あのプレーが正解」と学ぶ。だから、それを練習で突き詰められた。「あの人を止めたら、俺も通用する」となりますしね。

 その文化が崩れた。指揮官はまず、自分の頭を切り替えた。「僕は啓光でも、関東学院大でもレギュラーになれなかった人間。うまくいかない子の気持ちが分かる。啓光のプライドを捨てた訳ではないけれど、新しいことを取り入れるようになった」。例えば体作り。練習後30分以内に補食できるよう、自らカレーを作り、そうめんを湯がいた。(1)ディフェンス(2)試合中の考える力(3)ボール回し。その3点は「啓光の軸」として、過去の映像を見せながら受け継ぐ。伝統へのこだわりと新しい仕掛けが、今のチームには融合する。

選手たちに熱く語りかける川村圭希監督(左)
選手たちに熱く語りかける川村圭希監督(左)

■「啓光はやっぱりタックル」

 「ようやく形になりつつあります」。そう手応えを語る川村監督と部員の歩みに、サポートの手も差し伸べられる。昨年度まで同校に勤めた“食堂のおばちゃん”は「この子らに頑張ってほしいから」と指揮官に代わって補食作りを担当。少し前にはラグビー部に、匿名で白米が送られてきた。その後に電話があり、受話器の向こうの相手から「名前がない米を食べるのは怖いと思い、一報しました。お礼はいらないから、名前を書かなかった。花園に姿を見せてくれるのを、楽しみにしています」とエールをもらったという。

 川村監督 この子たちは「花園に戻る」のではなく、「花園に行く」ことが目標。でも、昔よりチームづくりのスタート地点は下がっても、ゴールは変えません。ゴールを下げると、絶対にたどり着かないので。

 京阪電車交野線の2駅先には、昨季の花園準優勝の東海大仰星が、他にも大阪には全国的な強豪校がずらりと並ぶ。それでもフッカー桝屋直杜主将(3年)は「名前負けは絶対にしたくない。啓光はやっぱりタックル」と言い切り、強い日差しを浴びながら、何度も味方の膝元へと体をぶつけた。「どうなっているんや」の声を「また、上を目指そう」に変えること-。その波及こそが、常勝軍団復活の条件に思えた。【松本航】

 ◆松本航(まつもと・わたる)1991年(平3)3月17日、兵庫・宝塚市生まれ。兵庫・武庫荘総合高、大体大とラグビーに熱中。13年10月に大阪本社へ入社し、プロ野球阪神担当となり、15年11月から西日本の五輪競技を担当。