「こんなに足が速いのに、サッカーのGKだったの?」

 13年4月29日、17歳の桐生祥秀が日本歴代2位(当時)の10秒01を出した。桐生のスポーツ歴を聞く中で、純粋な疑問だったのがこれだった。滋賀・彦根市の城陽小3年で、近所の友達と一緒に「プライマリーサッカークラブ」に入っている。

 桐生は子どものころ4歳年上の兄将希さんにくっついて野山を駆け回った。桐生は「ゲームはほとんどしなかった。鬼ごっことか。足は速かったけど、疲れると普通に捕まってました」。水泳が苦手で「カナヅチです」と笑うが、それ以外は球技も含めて器用にこなし、決して陸上しかできないというタイプではない。

 「プライマリーサッカークラブ」の峯浩太郎コーチ(47)は、小学校時代の桐生について「細くて、かわいらしい子どもだった」。最初は3-5-2のシステムで、2トップの右FWだった(当時の少年サッカーは11人制)。「当時から足が速くて中盤からのロングボールに、バーッといってシュートを打って帰ってくる。(元浦和の『野人』)岡野雅行みたいでね。ドリブルよりもスピードで相手を抜く。動きが軽くて素早い。手足を振るのがめっちゃ速くて。手足をピンと伸ばして、手足の回転がものすごく速かった」。

 転機は5年生の時だ。正GKが抜けて、チームにGKがいなくなった。峯コーチは「当時『GKにいきたい』という子がいなくて。少年サッカーはGKが責任重大。GKがちゃんと止めてくれれば負けない」。

 新しいGKを決めるために、1人1人を持ち回りで試してみた。「桐生君はものすごく反応が良くて、セーブしていた。だから『GK、やってくれへんか』と。皆にも『桐生、GK、頼むわ』と言われていた」。

 これで5年生からGKになった。「GKでもルーズボールへの出足が速くて、相手がシュートを打つ前に、出て行ってクリアすることが多かった。出足と判断。『行く』という時の瞬発力はすごかった」と峯コーチ。GK歴わずか1年で彦根市選抜に選ばれた。「GKスキルはそうでもなくても、判断の速さと出足を買われて、選ばれたということだった。本人はあまり乗り気じゃなかったと思うけど、それでも頑張ってやってくれた」と振り返る。

 桐生は、13年世界選手権モスクワ大会に初出場。17歳のヤングボーイに、米国代表短距離・ハードルコーチのカーティス・フライ氏は「70~75メートルまでなら世界でもトップクラスだ。あくまでおれの想像だが、彼は子どものころ、走る遊びをしていたんじゃないか。米国選手は子どものころ、アメリカンフットボールで走る能力を身につけている」と分析した。桐生は100メートルの選手だが、リレーでは曲走路の3走で爆発的な走りを見せる。それには、小学校時代のサッカー経験がひと役買っている。【益田一弘】

 ◆益田一弘(ますだ・かずひろ)広島市出身、00年入社の41歳。大学時代はボクシング部。陸上担当として初めて見た男子100メートルが13年4月、織田記念国際の10秒01。昨年リオ五輪は男子400メートルリレー銀メダルなどを取材。

桐生祥秀
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