そのフィギュアスケーターは、プロ野球・阪神タイガースの黄色のタオルを持ち、取材エリアに姿を見せた。

3人ほどの記者を前に「あっ、ここに立ったらいいんですか? こういうの慣れていなくて…」。「こんな試合の時も阪神なんや!」とツッコミが入り、「みんなに言われます」。少し場違いな笑いをもたらせた23歳の細田采花(あやか、関大)の周囲は、相手を問わず、いつも明るい。

10月7日の近畿選手権女子ショートプログラム(SP)。4年ぶりの現役復帰で注目された高橋大輔(32=関大KFSC)が滑る、約1時間半前だった。

冒頭、細田はスムーズな助走から思い切って氷を蹴った。高さのあるそのジャンプが着氷すると、すでに大半が埋まっていた客席がどっと沸いた。「来た!」。心の中でそう喜び、滑りきるとガッツポーズが出た。こだわりのトリプルアクセル(3回転半)で1・87点の加点を導き、実戦初成功。「根性があって、現役時代から競技にいちず」。そんな理由で大好きなのが、阪神の金本知憲監督だ。強い気持ちを込めて跳んだジャンプが、彼女らしかった。

浅田真央さんらの代名詞として知られるトリプルアクセル。国際スケート連盟(ISU)公認大会における女子の成功者は、世界を見渡しても10人に満たない大技だ。細田が決めた近畿選手権はもちろんISU非公認大会。そもそも「国際大会はノービス(ジュニアの下のカテゴリー)の時に2回ぐらいしか…」と、ISU公認大会にすら出たことがない競技人生だ。

細田は関大4年の16年12月、全日本選手権で自己最高の15位となった。すでに現役引退を決めており、同門で後に18年平昌五輪4位となる宮原知子(関大)とは涙の抱擁。17年1月の国体で仲間から花束を受け取り、小3から続いた競技人生を終えたはずだった。

「采花ちゃんと一緒に、トリプルアクセルを練習したい!」

「じゃあ、国体が終わったら一緒にやろっか」

翌2月、以前からそう誘われていた8学年下の紀平梨花(関大KFSC)との約束を果たすため、関大で一緒に3回転半を練習した。引退した立場での気分転換。ところがその場で、現役時代も縁がなかった3回転半が突然、決まった。

「『あっ、降りてしまった』みたいな…。『あ~、どうしよう』ってなりました」

多くの女子選手が10代で成功させる大技に、22歳でたどり着いた。迷った末に春、現役続行を決めた。目的はひとつ、競技会で3回転半を決めること。フィギュアスケーターはスピン、ステップ、表現などさまざまな要素の総合力が問われる。その中で細田は「トリプルアクセル」にこだわり、再びスケートに向き合った。3回転半だけが現役を続ける理由になった。

五輪シーズンに突入しようとしていた17年夏、笑いながら口にしていた言葉が、深く私の胸に刻まれている。

「22歳っていうとスケート界では『おばちゃん』なんですよね。でも『ここからでも頑張ったら跳べるんだよ』っていうのを見せたい。長い間スケートをしていたら、跳べない時期もあるんです。下から抜かれたりとか。そういうのも含めて、最後まで自分なりに頑張って『練習していたら、いつかは跳べるようになるんだよ』っていうのを見せたい。『遅咲き』って言われるんですが、『私なりに端で咲いていました』みたいな(笑い)。『ずっと頑張っていました』っていうのは自分の中であるので」

師事する浜田美栄コーチには、細田が知らない世界の舞台で戦う宮原、紀平、白岩優奈(関大KFSC)ら多くの実力者が集う。有望な後輩たちを、自称「おばちゃん」はこう見つめている。

「なんなんですかね…。ライバルではないし…。そこのレベルに私がいっていないので。どちらかというとチームかな」

その「浜田組」をチーム最年長は陰で支える。周囲からは「泣いている子にそっと近づいて、話を聞いてあげている」「後輩の尻をたたいて、一緒に練習している」「先生が言いづらいことを、采花ちゃんが伝えている」といった声が聞こえてくる。近畿選手権は4位。表彰台に立てなくても、そこまでの歩みが尊い。

昨季は3回転半を試合で決められず、「現役延長」は2年目に突入した。その細田に届いた吉報がある。

「(高橋)大ちゃんが帰ってきたのが、むっちゃうれしいんです」

小学生の時から兄貴分として慕い、その頃にあった米デトロイト合宿では、高橋特製の料理を食した間柄だ。

「大ちゃんは本当に全てがすごい。スケートもですが、キーマカレーもむちゃくちゃおいしいんですよ。ただ、その煙で火災感知器が反応してしまって、大変やったんですけれど…」

しっかりとオチまでつけた細田には、大先輩からの刺激も加わり、現役最後かもしれない目標が生まれた。

「全日本(選手権)で、トリプルアクセルを決めたいです」

世界は遠い。だが「端で咲く花」にも、唯一無二の輝きがある。【松本航】

◆松本航(まつもと・わたる)1991年(平3)3月17日、兵庫・宝塚市生まれ。兵庫・武庫荘総合高、大体大とラグビー部に所属。13年10月に大阪本社へ入社し、プロ野球阪神担当。15年11月から西日本の五輪競技を担当し、18年平昌五輪では主にフィギュアスケートとショートトラックを取材。

近畿選手権大会 女子ショートプログラム 見事な滑りをみせる細田采花(撮影・清水貴仁)
近畿選手権大会 女子ショートプログラム 見事な滑りをみせる細田采花(撮影・清水貴仁)