2月18日に大阪市内で行われた、吉本興業のタレント養成所NSC(吉本総合芸能学院)大阪校41期生による卒業イベント「NSC大ライブ」。司会を務めたたむらけんじ(45)の隣で笑っていたのは、赤のラグビージャージーを着たピン芸人のしんや(28)だった。ラグビーのモノマネで勝負した男は、129組(218人)の頂点に立った。

まだ余韻の残っていた3日後の同月21日。しんやは「本当にうれしかったです。首席になる願いを込めて家に置いていた、だるまの目をやっと黒く塗れました。まあ『首席』ではなく『主席』って書いていたんですが…。バッチリ間違えていました」と背筋を伸ばしながら照れ笑いした。ステージ上から見た客席では、心配をかけ続けた親がうれし涙を流していたという。


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「お前、そんなんちゃうぞ! リスク背負ってやるようなもんちゃう。人生、長いんや!」

7年前の2012年初春。帝京大ラグビー部を全国大学選手権9連覇に導いた名将・岩出雅之監督(61)の言葉を、教え子のしんやが忘れることはない。4年生のラストシーズンに向け、地元大阪で過ごしていたオフのことだった。母校大商大高のOB戦で、しんやは頭を強く打ち付けた。病院で「脳挫傷」と診断され、帰ろうとすると気分が優れない。再検査すると「くも膜のう胞」という、聞き慣れない病名、さらには衝撃的な現状を告げられた。

「人よりも脳が揺れやすい。また脳挫傷になってしまうと、かさぶたのようなものがはがれて出血するんです。死んでまうよ」

まさかの宣告に「そんなはずはない」。何かの間違いと思い、その後は都内や大阪府内の病院をいくつも回った。パニックになりながら、医師に「あなたが『(ラグビーを)出来る』って言ってくれたら、僕はラグビーできるんです! ヘッドキャップもかぶります!」と訴えた。そんなしんやの現役へのこだわりに、待ったをかけたのが岩出監督の「人生、長いんや!」という言葉だった。

しんや でも…。僕、部にいていいんですか? 

岩出監督 当たり前や。学生コーチはどうや? 

4年生の1年間は学生コーチとして、大学選手権4連覇を見つめた。複雑な感情だったが「出たかった思いもあるけれど、とにかくうれしかった」と笑った。


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しんやは大阪・東生野中でラグビーを始めた。それまでサッカー、ソフトボール、バスケットボールに取り組んだが「下手くそで、すぐにやめた」。中学生となり、ラグビー部を選んだのは「見返したかった」という思いからだった。とにかく無我夢中だった。

ラグビーで誘いがあり、「強いんやろうな」と進んだ大商大高では、想定外の1年生4人。3学年で15人に満たず、最初は合同チームだった。それでも「僕、ウエートトレーニングがむっちゃ好きで、ひたすらやっていました」とベンチプレスは100キロを超えるロック。3年夏は大阪府選抜に名を連ね、東海大仰星など強豪校の仲間とニュージーランド遠征を経験した。

「手応えはありました。大商大高自体は最後の花園(全国高校大会)予選で早々に散りました。しかも相手は『合同(チーム)C』ですから。それでも『(チームが)弱いから』と言い訳にせず、強い大学で試したい気持ちがありました」

帝京大では5軍まである層の厚さに驚きながら、腐ることなく体作りに励んだ。入学時は体重も90キロ台だったが、3年になると185センチ、110キロ。春のシーズンではサントリーとの練習試合に起用され、相手には15年W杯日本代表の真壁伸弥(31)らがいた。着々と成長を実感するからこそ突然のケガが悔しく、同時に「ラグビーが好きなんだ」とあらためて実感した。


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2013年春、帝京大を卒業後に進んだのは一般企業だった。スーツにネクタイ姿の営業職で、大阪や香川を拠点に活動。だが、働くにつれて「このままでいいのかな?」と自問自答し始めた。社会人4年目だった2017年1月、意を決して「話があるわ」と親に切り出した。

「仕事、辞めるわ」

「何するんや」

「吉本に入る」

「何考えとるんや。考え直せ!」

しんやは「彼女がいたんで、親も『なんや、なんや。そろそろ結婚か!?』っていう明るい雰囲気やったんです。それをいきなり…」と苦笑いでカミングアウトを振り返る。幼少期から「吉本新喜劇」を見て育ち、帝京大時代の夏合宿もモノマネや一発芸の指名がお決まり。人が笑い、喜ぶ姿を見るのが好きだった。

「いろいろ考えたんですが、最後は『自分の人生やな』って思ったんです。後悔したくなかった」

職場の上司はもちろん猛反対。それでも2018年4月下旬のNSC入学直前まで、勤務することを条件に説得した。反対多数の周囲を押し切る覚悟だけは、持ち合わせていた。


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NSCでは時給1000円の居酒屋アルバイトで生計を立て、ネタ見せ、発声、演技、新喜劇といった講義で腕を磨く日々。身内ではない相手と向き合い「逃げ出したくなった」という“スベリ”も経験した。

それでもラグビーネタで勝負するピン芸人として同期の頂点に立った。3月1、2日に東京・赤坂で行われる「大阪よしもと漫才博覧会~この中に絶対いる!~」出演権をつかみ、M-1グランプリ優勝経験を持つ「笑い飯」「霜降り明星」らも登場する舞台で腕前を披露する。「芸人としては、まだスタート地点」と冷静なしんやだが、巡り合わせには感謝が尽きない。

「今年はラグビーW杯日本大会(9月開幕)があります。そこに向けて、勝手に使命を感じていて…(笑い)。ラグビーを知らない人にも、お笑いという形で『面白いな、この人』って思ってもらって『ラグビーってどんなスポーツやねん』ってなってくれたらうれしい。頭は今のことでいっぱいいっぱいなんですが、僕自身もいろいろなことにチャレンジしたいです」

帝京大は日本代表に多くのOBを輩出している。15年W杯代表のフッカー堀江翔太(33=パナソニック)は高校時代のニュージーランド遠征で出会って以降、憧れの存在だった。後輩のSH流大(26=サントリー)とは大学時代の寮で、食事をともにする仲だった。もう全力で大きな体をぶつけることはできない。それでもしんやは大好きなラグビーへの、恩返しの方法を見つけた。【松本航】


◆しんや 本名・松永真也(まつなが・しんや)。1990年(平2)5月21日、大阪市生野区生まれ。東生野中でラグビーを始め、大商大高、帝京大とFW一筋。一般企業を経て、18年春にNSC(1年制)入学。趣味は筋トレで「(体を)作り直します」。好きな食べ物は「いいお肉」。一言メッセージは「今年の自分に期待してください!」。ピン芸人だが、漫才を組む相方を募集中。

◆松本航(まつもと・わたる)1991年(平3)3月17日、兵庫・宝塚市生まれ。武庫荘総合高、大体大とラグビー部に所属。13年10月に日刊スポーツ大阪本社へ入社し、プロ野球阪神担当。15年11月から西日本の五輪競技やラグビーを担当し、平昌五輪ではフィギュアスケートとショートトラックを中心に取材。