19年前の夏に撮影された、当時2歳の女の子と、1歳の男の子が仲良く手をつないでいるツーショット写真。その2人は2021年、東京オリンピック(五輪)の新種目に採用されたバスケットボール3人制で、いずれも日本代表として奮闘した。1人は女子代表の山本麻衣(21=トヨタ自動車)、そしてもう1人は男子代表の富永啓生(20=米ネブラスカ大)。両選手の母は、実業団の三菱電機でチームメートだった。

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女子の山本は今大会、8試合で37得点をマーク。165センチと小柄な体からスピード感あふれるプレーを繰り出し、1次リーグで全勝だった米国を破った試合ではチーム最多8得点を挙げるなど存在感を発揮した。

19年秋のU23ワールドカップ(W杯)では、日本バスケ界における男女全カテゴリー初の国際大会優勝に貢献し、大会MVPを獲得した。東京五輪代表入りに向けて順調なステップを踏んできた中で、コロナ禍での大会1年延期に伴い、昨春、さらなる飛躍を求めてシュートフォームの大幅な改造に着手。両手で打つのではなく、片手で打つスタイルへと変更した。

しかし、新フォーム習得は容易ではなかった。昨秋にWリーグが開幕しても、ワンハンドから放たれたボールはリングから外れ続けた。シュート精度の低下によって精神的な迷いも生じ、プレー全体に悪影響を及ぼした。

小中学時代には所属チームのコーチとして愛娘を指導し、その成長を見守り続けてきた母貴美子さんにとって、「あんな麻衣を見るのは初めて」というほどの深刻なスランプ。娘が大人になってからはバスケに関して口出しすることを控えてきたが、昨年12月に皇后杯準決勝第1戦が終わった後、たまらず電話し、強い口調で伝えた。「いつまでもこだわっていてはチームにも迷惑をかけるだけ。もう元に戻しなさい」。涙声の麻衣と1時間半、とことん話した。

翌日の皇后杯第2戦。両手でシュートを放つ娘の姿があった。本来の姿を取り戻した麻衣は、そこから急ピッチで調子を上げ、再び輝き出した。今年4月の五輪最終予選では得意の外角シュートを連発し、切れ味鋭いドリブルで相手守備を突破。五輪切符獲得の原動力となった。

紆余(うよ)曲折をへてたどり着いた五輪の舞台は、バレーボール男子代表でリベロとして活躍した父健之さんの出場がかなわなかった場所でもある。目標としていたメダルには手が届かなかったが、家族の思いも胸に、麻衣は全力を振り絞ってプレーした。

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男子の富永は8試合で55得点を挙げて大会を終えた。これは準々決勝を終えた27日時点において、全男子選手の中で3位に入る好成績だ。今秋からは全米大学体育協会(NCAA)のネブラスカ大編入が決まっており、近い将来にNBA入りの期待もかかる逸材。世界が注目する東京五輪で、その才能を存分にアピールした。

身長211センチの父啓之さんも元日本代表選手で、世界選手権のメンバーに選ばれた経歴を持つ。母ひとみさんも、前述の通り実業団の三菱電機に所属。2人のバスケ選手の間に生まれた男の子は、冒頭で触れた“お宝ツーショット写真”に収まる1歳半のころには、すでに大器の片りんをのぞかせていた。「赤ちゃんのときからボールを投げるのが大好きだった。アンパンマンよりもNBAの試合映像のほうに興味を示し、テレビ画面をじっと見ているような子で、だから誰かに預かってもらうときには、ボールとNBAのビデオを渡していた」と母ひとみさんは証言する。

幼少期には、実業団の試合に出場する父を応援したあとに、会場の体育館で“シュート練習”をして遊んだ。バスケットボールがすぐそばにあることが当たり前の環境で育った少年は、小学3年でミニバスケットボールを始めると、すぐに際立った動きを見る。とはいえ、それまで大人相手の1対1しか経験がなく、最後はシュートを決めさせてもらって…という状態でやってきただけに、「最初は5対5でもパスをするという発想がなかった。1人で運び、1人でシュートまで持っていってという感じ。とにかくシュートを打つのが大好きで」と、母は笑いながら振り返る。

のびのびと育まれた才能が大きく花開いたのは愛知・桜丘高3年のときで、全国大会のウインターカップに出場すると驚異的なロングシュートを次々と沈めて話題を集めた。NBA入りを目指して米国で研さんを積む中で、東京五輪の3人制代表に選出された。メンバー入りが決まった後に母は、「守備は苦手だし、まだまだひょろっとしているし。大丈夫なんでしょうか」と冗談めかして話していた。そんな親の声をよそに啓生は、少年時代と同じように目を輝かせ、世界を相手に鮮やかなシュートを決め続けた。

完成はまだまだ先のこと。それでも留学生活を経て着実に成長している姿を、はっきりと東京で示した。【奥岡幹浩】(ニッカンスポーツ・コム/スポーツコラム「We Love Sports」)