日本の名フィギュアスケーターや指導者が、最も心を動かされた演技を振り返る連載「色あせぬ煌(きら)めき」。第2回は安藤美姫(32)。ジュニア時代に出場した04年の世界選手権(ドイツ・ドルトムント)で、出番直前に乱入者の妨害に遭いながらも、ほぼノーミスで銅メダルに輝いたミシェル・クワン(39=米国)の伝説の夜を挙げた。

   ◇   ◇   ◇

ミシェル・クワン(2002年2月19日撮影)
ミシェル・クワン(2002年2月19日撮影)

16年前の世界選手権は、16歳だった安藤のシニアデビュー戦だった。「9歳でスケート靴を履いてから初めて映像で見た(98年)長野五輪の銀メダリスト、クワン選手と同じリンクに立てて、夢のようで。公式練習から幸せ、喜びの連続でした」。貴重な思い出…以上に記憶が鮮明なのは“事件”を目撃したからだ。女子フリー。自身の滑走順の前がクワンで、彼女がリンクに入ると場内がどよめいた。過去5度Vの女王への歓迎ではなかった。乱入者が現れた。

カナダ人男性が警備の目を盗み、観客席からリンクへ。服を脱ぎ、上半身裸になって宣伝パフォーマンスを繰り広げた。クワンは最初、銀盤に投げ入れられた花束を拾うフラワーガールだと思ったようで、男の周りを滑っていた。異変に気付くと慌てて避難。怒りか恐怖か。何か叫んだが、すぐ笑顔になって拍手した。

目の前で見ていた安藤は驚いた。「笑ってる…」。中断、仕切り直しを強いられてもクワンは動揺するどころか、ほぼノーミス。最後の3回転ルッツが2回転になった以外はステップ、スピン、当時あったスパイラルすべてが圧巻で、芸術点で満点の6・0(当時の旧採点方式)をたたき出した。しかも9人中6人も。観客は総立ち。ショートプログラム(SP)5位から逆転の銅メダルと意地を見せた。

「自分だったら緊張の糸が切れていたと思います。それなのに笑顔で、嫌な空気感など全く感じさせず、信じられない集中力とメンタルの強さを見させてもらいました」。脅威の表現力に「めったに出ない6・0を生で見られた…」が率直な感想。翌年から採点法が現行方式に完全移行したため、世界選手権で出た最後の満点で「自分の本番前なのに見入ってしまって。(当時コーチの)佐藤信夫先生の指示も、すみません…全く上の空でしたね(笑い)」という神演技だった。

05年11月、GPシリーズ・ロシア杯の女子フリーで華麗に舞う安藤美姫
05年11月、GPシリーズ・ロシア杯の女子フリーで華麗に舞う安藤美姫

この年、安藤は世界で唯一の女性4回転ジャンパー(サルコー)としてジュニアグランプリ(GP)ファイナル、世界ジュニア選手権ともに優勝。高校1年で全日本選手権も初制覇し、このシニアの世界選手権に飛び級で派遣されていた。「クワン選手に(サーシャ・)コーエン選手や(イリーナ・)スルツカヤ選手。そして優勝された荒川静香さん。五輪のような舞台にジュニアの私がポツンと入れられて」。非日常の中で“事件”に遭遇し、氷上から伝わってきたクワンの気迫に鳥肌が立った。続く出番。4回転サルコーこそ2回転になったものの、2つの「3-3(3回転ルッツ-3回転ループ、3回転トーループ-3回転トーループ)」に成功。明らかに刺激を受け、シニアデビュー戦で世界4位と健闘した。

直後のマーシャルズ杯にも招待された安藤は、4回転サルコーをクワンの前で決めて驚かせた。「世界選手権の時、記念で皆さんのサインをスケート靴にもらって回っていたんです。その靴で跳んだので『オーマイガー』と笑ってくださった」。以来、現役を退いたクワンとは接点がなかったが、あの夜の感動を礎に、安藤は2度の世界選手権優勝、06年トリノ、10年バンクーバー五輪出場と飛躍した。17年に国際スケート連盟(ISU)125周年式典で再会した際には「最も記憶に残っている演技です」と伝えることもできた。

「今はミシェルと呼ばせていただいてますが、彼女は私の人生を何度も変えてくれました。ジャンプしか強みがなかった自分に、もちろん順位は大事ですが、人の心に残る演技も大切であることを再確認させてくれました。子供のころから結果よりも自分らしく滑ることを意識してきたつもりでしたが、そのビジョンは、ミシェルに出会ってから、より鮮明になりました」

現在は振付師、臨時コーチの立場で後進の指導に当たる。「フィギュアスケートは競技性、芸術性、どちらにも魅力があります。順位に悩む生徒にはミシェルから学んだことを伝えていますし、記録よりも記憶に残る選手を多く育てたいです。もちろん勝つことや結果も大事にしながら、これからの日本を支えていきたいと思っています」。あのドルトムントの夜を常に思い出しながら。【木下淳】

安藤美姫(2020年2月4日撮影)
安藤美姫(2020年2月4日撮影)

◆安藤美姫(あんどう・みき)1987年(昭62)12月18日、愛知県名古屋市生まれ。9歳でスケートを始め、02年ジュニアGPファイナルで女子史上初の4回転ジャンプに成功して優勝。中京大中京高1、2年時に全日本選手権2連覇。07年世界選手権(東京)で日本女子4人目の女王となり、11年大会(モスクワ)も優勝した。同年の4大陸選手権(台北)も頂点に。トリノ五輪15位、バンクーバー五輪5位。13年4月に第1子の長女を出産し、同年末の全日本選手権を最後に引退。クワンと同じく知的障がい者の競技会「スペシャルオリンピックス」のドリームサポーターを務める。162センチ。血液型A。

◆ミシェル・クワン(関穎珊)1980年7月7日、米カリフォルニア州トーランス生まれ。両親は香港からの移民。アイスホッケーをしていた兄の影響で5歳からスケートを始め、94年の世界ジュニア選手権で優勝。全米選手権優勝9度。姉カレンも全米5位の実力者。シニア世界選手権は96、98、00、01、03年大会を制した。98年長野五輪銀メダル、02年ソルトレークシティー五輪銅メダル、06年トリノ五輪は負傷棄権した。UCLAに在籍後、デンバー大などを卒業。11年に世界フィギュアスケート殿堂入り。13年に政府高官と結婚した。157センチ。