フィギュアスケートの全日本選手権、女子フリーが行われた27日、2連覇を飾った紀平梨花(18)が4回転サルコーを決めた。日本人女子では2人目の大技。

その1人目が、02年に成功させた安藤美姫さん(33)だった。先駆者が見た紀平の強さ、4回転の難しさ、今後の期待とは-。【取材・構成=阿部健吾】

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産声を上げたばかり、02年7月21日生まれの、後の「日本女子2人目の4回転ジャンパー」が生後4カ月を迎える頃だった。

02年11月のNHK杯。14歳の安藤が、世界に衝撃を届けていた。エキシビションに登場したジュニアスケーターは、1人別世界にいた。左足で踏み切って跳び上がり、体を4度回して、氷上に降り立った。「4回転サルコー成功」。まだ日本にフィギュア人気が定着する以前。その跳躍が、いまにつながる列島を沸騰させていく着火剤だった。

「え、そんなですか…」。それから18年。その先駆者は、時の流れの速さに驚いていた。「紀平さんが生まれたばかりって。いやいやいや。ちょっと怖いな」。20年の年の瀬、テレビ越しに「2人目」の誕生を目撃した。怖いくらいの時間の経過、それはジャンプの価値、意味において、大きな違いももたらした。

「すごい事だと思う。世界的にも女子で4回転を跳ぶのが数少ない中で、きちんと目標を達成させる能力、目標を決めてやり遂げる、すごく強い気持ちで挑んだと思うので。いまの4回転の価値がある時代で、意識をもってトライして、それを成功させるというのは自分の時代にはなかったので」。

本音を隠さない。18年前の自分との違いを、そう話す。価値、それは確かに違った。まだ旧採点法時代。ジャンプ単独に得点がつく時代ではなかった。それでも、跳んだのは「自然な流れ」だった。

「小さい頃から、1回転跳べたら2回転という、その延長で。普通に必然的。すごいやりたいとかでなくて成長で、跳べているから、跳べないジャンプをやるのは普通かなと」

NHK杯の“成功”の裏話も、「普通」を示す。

「その前にケガをしていて。4回転はトリプルアクセル(3回転半)と並行してやっていたんです。ただ、アクセルの着氷で骨挫傷して、本格的にジャンプをできるのが全治3カ月と言われて。アクセルの着氷で痛めたので、怖くなり、で、4回転に絞った」

NHK杯の約1カ月後、ジュニアGPファイナル(オランダ)で、世界初の女子の4回転ジャンパーになった。もちろん、練習では何度も転倒し、血のにじむような努力があっただろう。ただ、それも「必然」の範囲だった。だからこそ、「なぜ跳べたか」の分析は明確にある。

「女子は男子と違う技術が求められます。男子は筋力があり、少しの軸のゆがみは耐えられるけど、女子は難しい。タイミングがきちっとはまらないと。軸は細ければ細いほど良い。高さがなくても、軸が細ければ回転速度が上がるので。伊藤みどりさんの3回転半と、私の4回転の滞空時間が同じ0・7秒だったそうです。回転速度が速いのが条件と検証してました」

軸を育て得るのは、若年層からの地道な基礎鍛錬だという。紀平の跳躍にも感じる共通項で「すごくコンパクトで速い」と見る。

なぜ2人目が登場するまで長い年月がかかったのか。その分析も実体験を踏まえて興味深い。

「1つはルール改訂。3回転でも回転不足を取られやすいとか、エッジの使い分けとか、細かい基礎的な改訂があった。連続3回転を無理してやるより、3回転-2回転の質の良い方が評価が上がることがあった、自分も含めですね。ルールに沿って選手はプログラム構成を考えないといけないので、余計にやらない選手が多かったのかな」。

最後に4回転に挑んだ08年GPファイナルを思い出す。

「その後に結局、回転不足が厳しくなり、演技構成点の重要性が上がった時代にシフトしました。回転不足などの修正もしないといけない時代で」。

大技より、勝つためには既存のジャンプの修正に追われた。4回転は08年が最後になった。ただ、はっきり覚えているという。

「楽しかったんですよ。回転不足ではあったんですけど。当時は21歳でしたが、14歳の頃を思い出したり。これから4回転を跳ぶ選手は増えるか? 一番強いのは選手の気持ちですね。楽しいと思えるかどうか、やりたいかやりたくないか、です。私は純粋に楽しかったので」。

紀平のジャンプにもそれを感じる。そして同時に、さらなる成長も期待する。

「今回のフリーは2位の坂本さんと約4点しか差がありません。それは他のジャンプで十分な加点を得られてないから。飛距離、高さ、流れなどが考慮されますが、改善の余地があります。私も現役の途中で踏み切る直前で力を抜くことを心がけて、跳び方を変更しました。力まずにスピードを殺さず、着氷後の流れを作るように変えた。その結果が11年の世界選手権優勝などにつながりました」。

紀平のジャンプは、足のつま先を付くトーループ系で少し止まる印象があるという。本人が掲げた「打倒ロシア勢」を果たすには、必須の改善になる。

「4回転をやる意味を引き立てるためには、他のジャンプの質を上げないと。4回転を跳んだからこそ、こだわってほしいです」。

「初」と「二人目」の間に、時代が求める価値の変化を感じながらも、4回転を持つがこそ、目指してほしい領域は重なっていた。(敬称略)

◆安藤美姫(あんどう・みき)1987年(昭62)12月18日、愛知県名古屋市生まれ。9歳でスケートを始めた。4回転ジャンパーとして大注目され、紀平が決めた長野ビッグハットでの03年全日本選手権でも成功させている。中京大中京高1年から全日本選手権2連覇。07年の世界選手権(東京)で女王となり、11年大会(モスクワ)も優勝。トリノ五輪15位、バンクーバー五輪5位。13年4月に第1子の長女を出産し、同年で引退した。162センチ。血液型A。