ホッケー女子の2016年リオデジャネイロ五輪(オリンピック)代表で、今月に現役引退を正式発表した湯田葉月(36)がこのほど、日刊スポーツの単独インタビューに応じた。日本代表「さくらジャパン」はじめホッケー界をけん引。結婚を経て2年前には第1子を出産。今後は妊娠期間中に出合ったピラティスをベースとしたセッションを展開する。
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湯田は中学生でホッケーと出合ってから、持ち味のスピードを生かしたドリブルで切り開いてきた。それから約20年-。スティックを置くことを考え始めたのは3年前のことだった。オーストラリア・メルボルンのクラブでプレーし、国内大会の優勝にも貢献した。
「長く競技生活を続けてきてすごく切りがよかった。オーストラリアの大会で優勝もして、自分の中でもすっきりしたっていう気持ちがあった」。
チームを離れた後はパートナーのアルゼンチン人男性と結婚。2024年5月には第1子も誕生した。
一時は競技復帰も考えた。しかし「自分のことよりも子どものことを優先したい。アスリートをしたいという気持ちよりも、子どもとの時間を楽しみたい気持ちが出産を機に芽生えてきた」。母として第2の人生を歩むことを決めた。
幼いころから体を動かすのが大好きだったという。2023年12月に妊娠。安定期に入った後はハーフマラソンやテニスを楽しむなどアクティブに過ごしてきた。しかし、「今までとまた違うパターンの体の変化」に悩まされた。
体力の低下、眠気、腰痛…。安静にしたい気持ちもあったが、「自分の体だけじゃない。子どもがおなかに入っているからどうやって扱ったらいいんだろうみたいな葛藤があった」。トップアスリートの時にしていたような運動はできない。心と体のギャップを感じ始めていた。
妊娠期間中でも心身の調和を求めて出合ったのが、「ピラティス」だった。
ドイツ発祥で、元々は負傷兵のリハビリ目的に考案された。マットでの自重トレーニングや専用マシンを使ってインナーマッスルを鍛え、骨盤など体のバランスを整える。
「家の近くにいくつもスタジオがあって、コンビニの数以上にあった」。オーストラリアでも若者から高齢者まで幅広い世代で親しまれる人気アクティビティだった。
マット1枚で体を動かせる手軽さ、マシンには負荷を調整する補助機能もある。アスリートが行うウエートトレーニングに比べれば、初心者や筋力のない人でも始められるのが魅力だった。
「すごく新しい感覚だった。新しいことにもトライするのが好きなので、最初スポーツした時と同じような感覚」。初めてホッケーのスティックを手にしてのめり込んだシーンと重なった。
さらに「競技性」よりも「生涯スポーツ」への考え方が強いオーストラリアの文化も追い風に。「本来スポーツは苦しむためにやるようなものじゃない。やっぱり楽しむもの」と影響を受けた。
妊娠期間中に出合ったピラティスと異国のスポーツ文化から着想を得て地元大阪に戻った後、ピラティスのトレーナー資格を取得。これまでの競技経験とピラティスで培ったトレーニングを組み合わせ、健康をサポートするためのセッションを行うスタジオ「カラダノコエ Pilates&Conditioning Studio」を始めた。一般人からアスリートまで幅広く対象とし、展開していく。
日本でもピラティスは若者や女性から高い人気がある。ただ、「大阪でもグループレッスンは結構あるけど、マンツーマンレッスンはもっとあってもいいんじゃないかなと思う」。まずは1対1の個別サポートから地道に始めるが、将来的には運動能力が飛躍的に向上する「ゴールデンエイジ」と呼ばれる幼児から小学生を対象にしたスポーツ指導もしたい考えもある。
今年で2歳を迎える長男の子育てで多忙を極めるが、仕事や家事の空き時間には自身のトレーニングも欠かさない。ホッケーフィールドを離れた後も、常にアクティブに動き続ける湯田の姿勢は不変だ。
「いろんな幅の年齢層の方とかにも体のケアの大切さであったり、シンプルに体を動かす楽しさを知ってもらいたい」。
世界最高水準の長寿国の日本を支えていく。
【泉光太郎】
◆湯田葉月(ゆだ・はづき)1989年(平元)7月11日、大阪府生まれ。羽衣学園中からホッケーを始め、同高では全国高校総体(インターハイ)優勝。天理大でも関西リーグ優勝を果たし、13年からコカ・コーラレッドスパークスに所属。日本リーグ優勝にも貢献した。16年リオデジャネイロ五輪など国際大会でも活躍。モデルのようなスタイルと端正な顔立ちで、ファッションブランドの広告にも起用された。21年以降はオーストラリアを拠点に活動した。167センチ。
◆店舗情報 大阪府岸和田市。アクセスは南海電鉄春木駅から徒歩6分。問い合わせや予約は公式インスタグラムから。


