綱とりへ、踏みとどまった。初日黒星の大関稀勢の里(30=田子ノ浦)は小結栃煌山を圧倒し、押し出しで下した。過去475度の優勝には、初日から連敗して達成した人はおらず、ここで負ければデータ上は優勝=綱とりが絶望的となるところだった。

 稀勢の里の会心の初白星に、胸をなで下ろしたのは本人だけではなかった。館内に鳴り響いた、割れんばかりの拍手。満員のファンも同じ気持ちだった。「良かったと思います。これからでしょう」。3場所連続5度目の綱とり場所が、ようやく前に進み始めた。

 初日に黒星を喫して、なおさら負けられない一番。難敵の栃煌山には合口が悪く、特になぜか綱とり場所は3戦全敗。先場所も土俵際で逆転の突き落としを食らった。そして、夏巡業前半の休場原因となった右かかとの痛みは、実はこのとき、土俵下に転がり落ちて生じたものだった。

 こうした全ての要素が気負わせてもおかしくなかった。だが、先場所5日目でケガしてから残り10日間、痛みを見せずに取り切った精神力は、1つの力となっていた。追い詰められたことを、稀勢の里は力に変えられた。花道で頻繁に笑みをたたえ、平常心をつくり出す。その上で「当たり負けしないように」としっかり踏み込むと、強烈な左からのおっつけで体勢を崩し、右はのど輪で前進。慌てず、さりとて休まず、完璧な相撲で押し出した。

 負ければ優勝=綱とりの夢は絶望的だった。1909年(明42)夏場所から始まった優勝制度は、先場所で475度目を迎えた。その中に、初日から連敗した優勝力士はいない。そうした負の要素を断ち切った。横綱審議委員会の守屋秀繁委員長は「今日は徹底的に褒めます」と、痛烈だった前日とは打って変わって上機嫌。「今日は良かった。落ち着いていた。これで優勝につながればいい。昨日もこういう相撲を取っていたら、日本国民も喜んだのに。力強いこういう相撲を取ってくれれば、希望が持てる」とべた褒めだった。

 もちろん、まだ2日。先は長い。だが、感覚がずれかけた当たりは「だいぶ良くなってきた」と言う。「ここからでしょう」。そう繰り返した。【今村健人】