<陸上:実業団女子駅伝西日本大会>◇23日◇福岡・宗像市役所前発着(6区間、42・195キロ)

 女子マラソンのアテネ五輪金メダリスト野口みずき(33=シスメックス)が見事に復活した。10カ月ぶりのレースとなった3区(10・2キロ)を32分25秒の快走で区間賞を獲得。故障に泣かされ続けた「女王」が全盛期を思い起こさせる走りを見せ、ロンドン五輪選考レースとなる来年1月の大阪国際出場を宣言した。天満屋が初優勝を飾り、2時間30分を突破した上位15チームが12月18日の全日本実業団対抗女子駅伝(宮城)の出場権を得た。

 玄界灘の風に吹かれながら、女王みずきが戻ってきた。小柄な体を目いっぱい使ったストライド、そして独特の右腕の振り…アテネで輝いたあの時と変わらない姿で、疾風のように宗像路を駆け抜けていった。満足に走られなかった3年以上の悪夢を捨て去って、力強く「復活宣言」した。

 野口

 やっと自分らしい走りができたと感じます。スピードが戻ってきたし、大きく腕を振ったし、思い切り足を動かせたし。ホント、何度も諦めかけたけど、私には諦めることができなかった。何回転んでも…走ることが好きなので。

 独壇場だった。首位でたすきを受けると、5キロ過ぎまでは時計も見ず飛ばした。久々の「後ろがすごく気になった。怖い怖い、って」という感覚も、どこか心地いい。中盤から腹痛を感じ、8キロ過ぎると口が開きっぱなし。「後半やっぱ落ちちゃいましたね」と舌を出したが、32分25秒で文句なしの区間賞だ。17秒差だった2位との差は、一気に1分7秒まで開いていた。

 感謝の気持ちでいっぱいだった。08年北京五輪直前から続いた故障との闘い。「去年の全日本が終わって故障した時はかなりきつかった。苦しい中で走れたのは、みんなの顔が浮かんだから」。ファンや関係者の激励は後を絶たず、ロンドンの地図がデザインされたハンカチを贈られることもあった。折れそうになった心を何度も奮い立たせた。

 予想以上の快走で復帰プランも前倒しした。ロンドン五輪の切符獲得へ、レース後は来年1月の大阪国際への出場意向を明かした。

 野口

 大阪を狙っていきたい。2003年にパリの世界選手権を決めたのが大阪なので。(名古屋と)迷ったんですけど、験担ぎみたいなもので。動物的な感覚がいいかな、と。

 レースまで残り3カ月。1度は時間に余裕のある3月の名古屋ウィメンズに照準を合わせたが、五輪への準備時間が長い大阪を「本能で」選んだ。11月から米国で1カ月半の高地合宿を行い、11月20日にはオランダの15キロレースで調整する予定だ。

 チームは残り89メートルで逆転され、初優勝を逃した。泣き崩れるアンカーに真っ先に駆け寄ってコートを掛け、沿道に「ありがとうございます」と頭を下げ続けた。26歳で世界の頂点をつかんで7年。「疲れが取れなくなった。元気といっても33歳なので」。遠回りした分だけ、たくましくなった。「本当に諦めなくて良かったと言うのは大阪が終わってからですね」とうなずいていた。【近間康隆】【野口の苦闘】

 ◆08年8月4日

 スイス合宿中に左脚痛。極秘帰国し左太もも肉離れと診断。

 ◆同8月12日

 レース5日前に北京五輪欠場発表。

 ◆09年1月30日

 左脚に痛みと張りを訴えて日本陸連の合宿を辞退。

 ◆同3月20日

 左太もも肉離れの再発が判明。

 ◆10年8月29日

 長期離脱でロンドン五輪への選考レース一発勝負を示唆。

 ◆同10月24日

 実業団女子駅伝西日本大会で本格レース復帰。練習不足で3区10・5キロを区間5位。

 ◆同12月19日

 全日本実業団対抗女子駅伝で体調不良となり3区10キロを区間20位。レース後は病院へ搬送される。その後、左足首内側付近の疲労骨折が判明し全治5、6週間と診断。

 ◆11年6月15日

 夏のハーフマラソン出場意向を明かすが、その後左臀部(でんぶ)を負傷した。

 ◆女子マラソンのロンドン五輪代表選考

 今夏の世界選手権と11月20日の横浜国際、来年1月29日の大阪国際、同3月11日の名古屋ウィメンズ(旧名古屋国際)が対象レースになる。各大会の上位から、五輪での活躍が期待できると思われる3人が選ばれる。世界選手権はメダル獲得した最上位者が代表に内定するはずだったが、対象者は不在。横浜国際には今夏の世界選手権で18位に終わった尾崎好美(第一生命)らが出場する。男子は12月の福岡国際、来年2月の東京と、同3月のびわ湖毎日から3人を選出する。