【バルセロナ(スペイン)11日=阿部健吾】セルフプロデュースで逆境打破!

 フィギュアスケートのグランプリ(GP)ファイナルが開幕し、2連覇を狙うソチ五輪金メダリストの羽生結弦(20=ANA)が11日の公式練習に参加した。ケガ明けで出場した先月下旬のNHK杯で出場権を得てから、今日12日(日本時間13日)に滑るショートプログラム(SP)の演技を自らの手でプチ改造。史上3人目の大会連覇に照準を合わせた。

 情熱の国で、羽生は冷静な決断を下した滑りをみせていた。スペインでの初滑りとなった10日の練習、この日の練習でも、SP後半に組み込む3回転ルッツ-3回転トーループの入り方が以前と違った。「たいしたことはやってないけど、跳びやすくはしています。より安心して跳べる、コンスタントに跳べるコースにしました」。この大会に向けて、自分なりに考え、自信を持てるコース取りを見つけてきた。

 コーチ、振付師と相談しながらシーズン中に微調整を続けるのがスケーターの常だ。ただ、NHK杯後、羽生は故郷の仙台、オーサー・コーチは練習拠点のカナダと離ればなれだった。相談はしながらも、1人での創作になった。約1週間、「ここさえ注意すれば跳べるというところを、毎日違うが、見つけていった」という。その中で精度を高めていった。

 「ノービスの時に初めての海外試合が…」と思い起こしたのはちょうど10年前。04年12月、10歳時にフィンランドで戦ったサンタクロース杯のことだった。演技時間が30秒延びるため、当時の都築コーチから「曲を渡されて『これで何か考えて』って言われて」。結局、スピンを1つ加えた初のセルフプロデュース作で優勝したことがあった。

 今回の微調整は、現実を冷静に考えての判断ではある。GPシリーズ中国杯での衝突事故から、まだ1カ月あまり。本人は影響を否定しながらも、NHK杯では4位。なんとか6番目の椅子をつかんで、GPファイナルに歩を進めたが、体調は万全ではない。今季のSPは本来、体力的にはつらいが基礎点が1・1倍になる後半に4回転ジャンプを組み込んでいた。ただ、NHK杯と今大会も体調を考慮して、4回転は冒頭に置く。その中で最善策を追求した結果が、ルッツの軌道修正だった。

 95年開始のファイナル(前身のチャンピオンシリーズ含む)で大会2連覇をしたのは99、00年のプルシェンコと10、11年のチャンのみ。GPシリーズの成績で6番目の出場者が勝ったのは、19大会で1度のみ。03年のサンデュしかいない。

 「せっかく自分で1週間、1人でやってきた。それを信じて、そこで得たものをしっかりと応用して、活用していきたい」。優勝は容易ではないが、いま持ちえる武器の威力は最大限に高めてきた。滑走順も1番で「あまりプレッシャーがかからなくて良いかな」と好材料とみる。あとは新たに描くジャンプへの道筋が、勝利にたどり着くことを信じるだけだ。<羽生の負傷経過>

 ▽8日

 中国杯フリー直前の6分間練習で、閻涵(えんかん、中国)と大激突。体を強く打ち、頭部から出血した。治療後に包帯姿で演技。5度のジャンプの転倒があったが、最後まで滑りきり、順位は2位。

 ▽9日

 国内で診察を受けるため、エキシビションを欠場して、車椅子姿で緊急帰国。検査では<1>頭部挫創<2>下顎挫創<3>腹部挫傷<4>左大腿(だいたい)挫傷<5>右足関節捻挫の5カ所のケガと診断。

 ▽26日

 NHK杯の非公式練習に参加。練習で感触を確かめ、出場を決意。

 ▽27日

 会場での公式練習後、公式会見に出席。出場理由を「(中国杯の)演技を無駄にしたくない。ファイナルに行きたい思いが強い」と説明。

 ▽28日

 SPで4回転ジャンプの転倒などが重なり5位と出遅れる。

 ▽29日

 フリーでも4回転で転倒したが、総合4位となり、ファイナル出場権をギリギリで獲得。

 ◆GPファイナル

 全6戦あるGPシリーズで、各大会の順位をポイント(1位15点、2位13点、3位11点…)換算。2戦合計点の上位6人が進出する。過去に日本男子は12年に高橋大輔、13年に羽生結弦が優勝。女子は03年に村主章枝、05、08、12、13年に浅田真央が優勝している。