未来のドラ1右腕と第89代4番打者は同じ源流を歩んだ。地元奈良の橿原磯城シニア出身で、鍬原が岡本の1学年先輩。2人を指導した木下大輔コーチ(35)は「岡本は率を残すタイプ。鍬原は小さい体でも芯、バネが強く、岡本よりボールは飛ばしていましたよ」と回想する。3番岡本、5番鍬原で中軸を形成していた。

 先輩、後輩というよりも仲間としての意識が強い。鍬原が大学1年時に岡本が巨人からドラフト1位指名を受けると「うれしすぎて、大学のホールで1人だけ立ち上がっちゃいました」。昨年、鍬原もドラフト1位指名を受けると翌日、岡本から電話が入り「プロの先輩としていろいろ聞くけど、よろしくな」と伝えると「ああ、いいっすよ」と親近感たっぷりの返事で心が和んだ。

 少年時代の苦しい練習も2人で乗り越えてきた。午前は万葉集にも登場する標高150メートルの「天香久山(あまのかぐやま)」にあるコースを30周2セット、午後は外野ポール間をタイム制限付きで50本以上走った。鍬原は「野球人生でも、あの時期が一番走りました」。岡本も「どんだけ走るねんって思ってました」と頭をかく。思春期に磨き合った2つの原石が9年ぶりに隣に並び、光り輝いた。【巨人担当・桑原幹久】