今季までロッテでプレーし、選手会事務局への就職が決まっている肘井竜蔵氏
今季までロッテでプレーし、選手会事務局への就職が決まっている肘井竜蔵氏

1軍の出場機会なく今季を終えたロッテ肘井竜蔵外野手(23)の心は決まっていた。トライアウトは受けない。「チームが若返りを図っている中でも試合に出られなかった。純粋に自分の力のなさ。すっきりと次にいこう」。まずは社会を知ることが重要と思った。履歴書も書いたことがなかった。早速スーツに袖を通し“就活”を始めた。

保険、不動産、人材派遣に車の営業。自分に興味を持ってくれた13社を周り、同じ質問をした。「どうして僕に声を掛けてくれたんですか?」。不思議だった。高卒でパソコンもできない。同世代の大学生が一生懸命、自分を売り込んでいる中、「元野球選手」の何が魅力なのか。答えは共通していた。例えば打席で凡退する。なぜ打てないか考え、工夫し、次のチャンスに生かす。アスリートは計画(Plan)→実行(Do)→評価(Check)→改善(Action)の「PDCAサイクル」が身に着いている。それがビジネスで評価されると知った。

目からうろこだった。「それを知らない野球選手って多いんですよね。みんなセカンドキャリアに不安を抱えてる。それなら毎年約100人出る戦力外選手の、助けになれたらいいなって」。戦力外になると選手会から連絡が来る。トライアウトを受けないと報告した時、人柄にほれ込んでいた事務局から“スカウト”されていた。

プロ野球選手会事務局。セカンドキャリアもあっせんも仕事の1つだ。選手の気持ちは誰より分かる。「僕ができること、求められてること。これかなと思った」。誘いを快諾。1月から、入局を決めた。

熱く、真っすぐだ。「よくいるじゃないですか。戦力外になって、僕には野球しかないんで、って言う人。でも、野球しかないわけないんですよ。野球だけしか出来ないわけがないんですよ。いろんなことが絶対出来ると思うんです」。プロ野球を経たから、次の就職が難しいという風潮にしたくない。アスリートの寿命は会社員よりずっと短い。1度きりの人生の第2章を、手助けしたい思いが強まった。「みんなが夢だけ持ってプロにきて、後のことは僕たちがサポートできるように。いろんなことを覚えたいと思ってます」。

「プロ野球選手」でいたのは5年間。ターニングポイントになった出来事がある。育成から支配下登録され、開幕1軍を果たした15年。2軍戦で顔面死球を受けた。鼻骨と頭蓋骨を骨折。手術後も失われた嗅覚は戻らなかった。顔にも6本ボルトが入ったままだ。「最初は大変でした。リハビリとか。恐怖心もありましたけど、そこからもう1度1軍に上がれて、ヒットが打てた。ちょっと達成感、満足感があった。選手としての成長はたぶん、そこで終わりだなって感じたんです」。やり切った思いが強かった。そして次にやりたいことを見つけた。

最初の1年は、野球イベントに参加しながら業務を学んでいく。今はパソコン教室に通う日々だ。「エクセル、ワード、最低限できないとな、って。何にも分からないけど、伸びしろがある。めちゃめちゃ楽しいです。本当勉強です、これから」。もし現役選手が今後戦力外を通告されても、選手会に、同じ経験をした肘井がいる。手を差し伸べようとしてくれる。プロ野球選手の人生第2章-。きっと前途は明るい。【ロッテ担当 鎌田良美】

ロッテ肘井竜蔵
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