松沢裕介(2017年1月6日撮影)
松沢裕介(2017年1月6日撮影)

巨人育成の松沢裕介外野手(26)はトライアウトでも最後だった。前の打席が四球で、希望した5打席目は全体ラストの87番目。帰り支度をするファンを前に二飛に終わった。「これも運命かな」。偶然が導いた引き際を受け止めた。

入団も最後だった。四国IL・香川を経て15年に巨人から育成ドラフト3位で指名された。だがメディカルチェックで左手手指関節靱帯(じんたい)損傷が判明。入団を辞退し香川に残った。翌16年に育成選手では初の複数回指名を受けた。育成8位。全体最下位、115人目の指名だった。

遠回りをしたからこそ、野球と向き合った。求められたサインや記念撮影は、1度も断らなかった。ひたむきに汗を流す姿に内海、陽岱鋼、片岡ファーム内野守備走塁コーチら、多くの先輩が鼓舞してくれた。叱咤(しった)激励に、結果で恩返ししたかった。

プロの世界は厳しかった。1年目は結果が出ず、勝負の2年目だった今季。2月の春季キャンプ中、恥骨の骨折が判明した。治療室で横たわっていると、トレーナーから「お前が頑張ってる姿はみんな見ていたぞ」と慰められ、顔にタオルをかけられた。涙が止まらなかった。その後もけがに苦しみ、10月に戦力外通告を受けた。

それでも、もがいた時間は決して無駄ではなかった。次のステージには“ドラフト1位”で飛び込む。トライアウト後、香川時代に知り合った仮設足場工事会社「タニモト」の谷本渉社長から「将来、社長になれる素質がある」とオファーを受けた。引退後の進路に悩む元選手も多い中、約30社から誘われたが「社長のような人になりたい」と同社入りを決断。来年から半年間の現場勤務を経て、営業職につく予定だ。「プロ野球選手になったことに後悔はない。かけがえのない経験でした」。今も恥骨は折れたまま。プロ野球選手として戦った“証し”を抱えながら、第2の人生に挑む。【巨人担当 桑原幹久】

松沢裕介(2017年3月13日撮影)
松沢裕介(2017年3月13日撮影)