2度目の決勝戦。斎藤にとっては4日連続のマウンドになった。疲れがないはずはないのだが、球は走っていた。

3回まで1人の走者も許さなかった。5回まで無失点。6回に駒大苫小牧の1番三谷忠央に本塁打を浴びて1点を失うが、4-1とリードして最終回を迎えた。

無死のまま3番中沢竜也に2ランを浴びたが、三振、二飛で2死を奪った。そして打席に田中将大(現ヤンキース)を迎えた。この日最速となる147キロの直球などで追い込み、最後は144キロの直球で空振り三振に仕留めた。

早実にとって夏の初優勝だった。試合後の斎藤は「王先輩も荒木先輩もできなかったことを成し遂げられたことが一番うれしいです」と喜んだ。大会記録となる69イニングを投げ、球数は948球に及んだ。これについて「こんな体に産んでくれた親に感謝しています」と語っている。

また、大会通算78奪三振は、徳島商・板東英二に次ぐ史上2位の記録だった。「ハンカチ王子」は話題先行ではなく、実力もあると示した。この日を境に斎藤の人生は変わった。

再試合の翌日、新幹線で東京駅に戻ると、警視庁の警察官約50人に警備された。国分寺市の学校には約3000人もの人が集まった。到着の3時間以上も前からファンが集まり、約300メートルの花道ができていた。

学校内では、休み時間のたびに教室に人だかりができた。特に早実中等部の女子生徒が連れだって訪れてきた。各担任教師から全校生徒へ「斎藤君の気持ちも考えてあげてください」というお達しが出たという。

登下校時も多くのファンに囲まれ、一部マスコミにもしつこく追いかけられた。女性週刊誌のグラビアページに特集が組まれるほどの異例の注目度。練習後などに通っていたファストフード店にも行けなくなった。

野球部長だった佐々木慎一は、混乱を避けるため車で斎藤の送迎をするようになった。

佐々木 車を出発させると、何台もの車が後ろをついてくるんです。

正門前は多くの人でごった返し停車できない。危険を避けるため、斎藤は学校の裏門から車に乗ったまま敷地内へと登校した。

斎藤 すごかったですね。やばかったです。秋には文化祭があるんですけど、校長先生に呼ばれて「すまない。来ないでもらえるか」って。自宅待機だったんですよ、僕だけ。野球部の他のみんなは参加したし、モテてたみたいですよ。ずるいですよね。僕だけ味わえなかった(笑い)。

早実の文化祭「いなほ祭」は喫茶店やバザー、演劇など生徒たちが準備を重ねた出し物が、2日間にわたって展開される。学園生活の一大イベントだった。不参加は、無念の記憶として残っている。

それでも、クラスの出し物の準備に積極的に参加した。

斎藤 だって、そこに向かってみんなで準備するのも楽しいじゃないですか。

全国区のスターになった斎藤だが、クラスでは変わらずリラックスできた。クラスメートと過ごす時間…普通の高校生には当たり前の時間が、斎藤にとって何より幸せだった。

中でも、特に感謝しているクラスメートがいる。

(敬称略=つづく)【本間翼】

(2017年9月18日付本紙掲載 年齢、肩書きなどは掲載時)