「かりゆしホテルズボールパーク宜野座」。って、どこやねん。長い名前やな。阪神のキャンプ地、変わったんか? とお思いの貴兄。そんな人はいないかもしれませんが昨年末、初めて改名を知ったとき一瞬、そんな思いがよぎったのは事実です。いわゆる命名権で、宜野座村野球場から名前が変わっただけなので、お間違いなく。

 宜野座で思い出すのは、やはりあの笑顔です。もう15年も前になるのか。03年1月末、球場のベンチに座って「どうや。ええとこやろ?」と取り囲む番記者に問いました。

 星野仙一さん。当時、阪神監督就任2年目でした。それまでは高知・安芸だったキャンプ地を前半だけ沖縄に変え、乗り込んだ宜野座。そこで少し自慢そうに言っていたものです。同時に決まり文句も口をつきます。

 「沖縄は日本のフロリダなんや!」。このセリフも何度聞いたことでしょう。暖かく、野球のキャンプにこれ以上ない場所。そういう意味を込め、連発していました。「野球に恋する」と照れずに言い切る人だけに野球に適した沖縄も大好きでした。

 好きなら行動に移すのも星野という人。沖縄という土地と深い関係も持ちました。星野さんの姉の子ども、つまりおいである筒井壮2軍守備走塁コーチと話したのは1月31日、安芸に出発する大阪・伊丹空港です。

 「オジさんと沖縄は切り離せないでしょう。宜野座だけでなく中日時代の石川、北谷。それに楽天に行ってからは金武でしょう。やっぱり、すごい力だなと思います」

 でもね、と続けるのはもっともな言葉です。「選手がその沖縄で練習できるありがたみをどれだけ分かっているのかな、と。若い人とか、そういうことは分からないかなあとも思いますが…」。

 これに関してはまったく同じ思いです。いまさらですが阪神が沖縄で練習するなど、昔なら考えられなかった。もちろんファームは現在も安芸ですが、期待され、1軍で見たいとなれば暖かい沖縄に呼べる。今はそういう状況が阪神では生まれています。言うまでもなく03年はリーグ優勝を果たし、長年の球団の流れを変えた年でもあります。あれから15年。その年に阪神に加入した金本知憲が指揮官となって3年目です。

 星野さんが亡くなった後、少しだけ金本監督と話しました。「星野さん、いなくなったけど。僭越(せんえつ)ながら同じ思いで見てますから」。そう言うと「ありがとうございます」と応えました。今季こそ沖縄から優勝への流れをつくってほしい。星野さんのためにも。心から思います。