私の心の中は1点の曇りもない! 巨人の原辰徳がこう叫び、そして「辞任します」と明かした。10月4日のDeNA戦の試合後。ファンの前で退任を告げた。これは極めて珍しいケース。いかにも「さわやか」な原らしさが出ていた。

長い取材経験で、多くの監督の最後を目撃してきた。強く印象に残っているのは南海の兼任監督、野村克也だ。シーズン終盤、本社、球団は野村解任に進んでいた。最終決断はオーナーの川勝伝が下した。これを不服として、野村は徹底抗戦に出た。最後の東京遠征時。目黒の自宅前を早朝から張った。そこに現れたリンカーン・コンチネンタル。動き出した車の前に他社の先輩記者が立ちはだかった。

「監督、解任は間違いないですから!」

窓が開いた。野村が発した。「まだわかるかい。そこをどけ!」。

それからが泥沼だった。大阪豊中のマンションに籠城。江夏豊、柏原純一が同調して、決着をみるまで長い時間を要した。

1988年は広島。阿南準郎は3年目を終え、山本浩二にバトンを渡した。路線通りであったが、優勝できずに退陣するのが悔しかった。すべてが終わったあと、阿南に誘われて喫茶店に入った。「あとは浩二がやってくれる。優勝できなかったチームを彼が強くしてくれるはず。春の来ない冬はないんだから」とほほ笑んでいた。

阪神の監督交代といえば、常にゴタゴタが付きまとったもの。古くはその渦中に、いつも吉田義男と村山実がいた。両雄並び立たず…は、その通りだった。1984年は混乱に極みだった。広島と阪急の日本シリーズが行われた広島市民球場は、阪神の取材陣が多くいた。監督候補に挙げられた西本幸雄の取材のためだったが、あまりの過熱ぶりに、機構側から自粛を求められる異例の展開に。

最後は村山実就任が決定的とされた中、日刊スポーツがニュースを報じた。「吉田義男に決定!」。スクープだった。

中村勝広の監督時代は時のオーナーである久万の「スカタン采配」発言がその後の去就に影響した。その後、野村克也、星野仙一と外様の大物を監督に招請。そして岡田彰布、真弓明信、和田豊と続いていくのだが、球団も熟成され、「お家騒動」の阪神にしては、表向きにスムーズな交代が続くようになった。

今回の原辞任、阿部慎之助の新監督によって、また球界監督の年齢が若返った。阿部は44歳。これによって60代の監督は岡田彰布ひとりになった(ソフトバンクの藤本は11月で60歳になるが)。これまで岡田は原の存在を励みにしていたのは間違いない。監督は年齢ではない。年にあらがいながら、培った実績で勝負にこだわった岡田と原。来季はそんな好敵手がいなくなる。

「まだ契約が1年残っていると聞いてただけに、ビックリしたわ」。原辞任の報に岡田はこうもらしたが、監督とは常に責任を取るべきポジションという覚悟を、岡田は持っている。

65歳で監督にカムバック。ブランクの長さを危惧する声もなんのその、見事なまでの采配でリーグ優勝を果たした岡田だったが、来季はさらに「孤高の監督」として挑むことになる。気持ちの中で「原がやってるし」「原に負けないように」と、張りにしてきた材料がなくなってしまう。それでも岡田は戦う。原が阿部にあとを託したように、岡田もまた後継者に次を託すことになる。その候補に帝王学を…。このオフのコーチ陣の編成。岡田には大きな役目が待っている。【内匠宏幸】(敬称略)

巨人対DeNA 最終戦セレモニーで辞任を表明した巨人原監督は、大声援の中、手を振り引き揚げる(撮影・浅見桂子)
巨人対DeNA 最終戦セレモニーで辞任を表明した巨人原監督は、大声援の中、手を振り引き揚げる(撮影・浅見桂子)