シーズンオフ企画で阪神ナインの原点、足跡をたどる「猛虎のルーツ」。最終第8回は、和製4番の期待がかかる大山悠輔内野手(25)です。

つくば秀英(茨城)時代は、度重なる監督交代で常にチーム状況が不安定でした。そんな逆境を乗り越え、「自覚と責任」で成長した大山の3年間を、恩師の沢辺卓己元監督(45=現つくば秀英副教頭)と森田健文前コーチ(34=現監督)が明かしてくれました。【取材・構成=奥田隼人】

大山は小学1年から軟式で野球を始め、地元茨城・下妻の千代川中軟式野球部で投手兼内野手で白球を追った。Kボール県選抜にも選ばれ、全国3位に入賞。茨城県内の強豪校から多くの誘いを受けた中で、当時のつくば秀英・沢辺監督に声をかけられ、同校に入学した。1年春からレギュラーをつかみ、順風満帆に思われた高校生活だったが、チームは度重なる監督交代で、不遇の時代を歩んだ。

沢辺氏は、大山の高校3年で一番成長した部分を「技術ではなく、自覚と責任」と語った。大山が1年夏の時、沢辺氏は監督退任を余儀なくされた。その後3年間で3人、4人と監督が入れ替わった。チーム方針や練習方法は定まらず、不安定な状況が長く続いた。辞めていく部員も4人出た。退任以降、外部から見守ることとなった沢辺氏は「チームはぐちゃぐちゃ。黒歴史でした」と振り返る。

生徒に罪はなく、大人の事情による悪循環。決して万全ではない指導体制に、大山ら生徒を思いやった。「我慢ですね。高校の時の不遇な経験を我慢したことが大学で爆発し、今につながっている気がします。僕としては不本意だったし、申し訳なかったことしかない。だけど、あの時の我慢や嫌な思いを大学でぶつけられたのかなと思います」。大山は白鴎大進学後、黒宮寿幸監督の熱血指導のもと、大学日本代表の4番に上りつめた。そして、阪神ドラフト1位でプロの扉を開く。

過酷な状況下でも、大山は中心選手の1人として試合に出続けた。高1春に2番二塁でレギュラーをつかみ、同秋からは中軸3番を任された。上級生の控え選手もいる中、選ばれ試合に出る立場。ミスをすればその分、怒鳴り飛ばしたと沢辺氏は言う。大山は決して表情や態度には出さなかったというが、実は悩んでいたと後々、周囲から聞いた。「下を向いていたけど、歯を食いしばって。弱音は吐かない、言わなかった。『自分がやらなきゃ』みたいな気持ちは持ったんじゃないですかね」。

プロ入りを導く沢辺氏の心遣いもあった。プロ級の才能をすでに感じていた大山の入学時、2学年上にはチームの柱で同じくプロ入りが確実だった塚原頌平(元オリックス)がいた。寮では2人を意図的に同部屋にした。「プロに行く人間が、プロに行くであろう人間にアドバイスをする。帝王学だと思ってね」。大山は塚原から技術を吸収し、時には励まされることもあったという。3年間、コーチとして指導した当時の森田コーチは2人について「オレたちがチームを背負っていくんだと。相乗効果があった」と振り返る。環境作りの計らいも大山の成長を後押しした。

技術は1年からすでに一級品。沢辺氏はスナップスローなど送球について「指先の感覚が他に類を見ないくらい抜群だった」と明かす。打っては「フリーバッティングで、ふざけてんなというくらいに軽く打つんです。だけど打球が『パーン!』と飛んでいくんですよ」。森田氏も「お前、やる気ないのか?」と声をかけるほどだったと笑って振り返る。「本人の中では感覚でタイミング、ポイントを合わせる練習をしていた」と意図を理解して、見守った。バットにボールを乗せる技術、打球にスピンをかける技術はズバ抜けており、3年間で「大山の三振は記憶にない」という。

持てる才能を磨きつつ、不遇を乗り越えた3年間に沢辺氏は「彼がそれをプラスに変えた。それだけの強い意志と気持ちを持っていました」。苦難のスラッガーが精神的にもたくましく成長。阪神3年目の昨季は開幕4番を託されるまでになった。チームの顔となり、熱狂的なファンの声援、時にはヤジにもさらされる。高校時代を乗り越えた「強い気持ち」で、今季も懸命にバットを振り続ける。

◆19年の大山 プロ3年目で初の開幕4番を務めた。105試合その座を守ったが、不調でマルテと交代。その後は三塁で北條と併用されながらも、プロ入り初の全143試合出場を達成した。打率2割5分8厘、76打点、14本塁打。本塁打と打点はキャリアハイで、チームトップの成績を残した。連敗で迎えた巨人とのCSファイナルステージ第3戦では、一矢報いる意地の決勝弾。今季は三塁マルテ、一塁ボーアとのポジション争いが待ち受ける。

◆大山悠輔(おおやま・ゆうすけ)1994年(平6)12月19日生まれ。茨城県下妻市出身。つくば秀英では投手兼内野手で2年夏に県大会8強。最速143キロで高校通算27本塁打。白鴎大では1年春から三塁手で出場し、通算16本塁打。4年時には侍ジャパン大学代表の4番も経験。16年ドラフト1位で阪神入団。181センチ、85キロ。右投げ右打ち。