まさにくしくもだった。日本の金メダリストで初の世界王者になった村田諒太。2度目の世界戦のゴング直前に、あるジムのマネジャーから言われた。そのひと言で「村田が勝つだろう」と思った。

 会場は両国国技館。老朽化と東京五輪を控え、世界戦を開催するような会場は建て替えと改修が相次いでいる。村田の試合は8月に発表された。世界戦はランキング、マッチメークの交渉、中継テレビ局の事情などで決まる。このため、事前に会場予約がなかなかできない。帝拳ジムの本田会長によると「今回はたまたま空いていた」そうだ。

 47年前の1970年(昭45)10月22日。会場は現在の両国国技館から徒歩5分ほどにあった旧国技館の日大講堂。あの大場政夫が世界初挑戦し、WBAフライ級王者ベルクレック・チャルバンチャ(タイ)を13回KOで倒した。帝拳ジムにとって、初めての世界王者誕生だった。

 大場は5度目の防衛に成功した直後、23歳の若さで亡くなった。永遠のチャンピオンとも呼ばれる、今や伝説のボクサーだ。マネジャーのひと言は「きょうは大場がチャンピオンになった日」。村田は同じ日に世界王者になり、しかも場所も同じ両国だった。ジムにとって記念日とは運があると言えた。

 プロボクシングの試合はリーグ戦やトーナメントは原則ない。まずは勝っていくことで地域の王座を踏み台に、世界ランキングに入り、ランクを上げていくことで世界挑戦のチャンスが出てくる。

 その間に王者も入れ替わる。これがまた微妙でかみ合うか、かみ合わないか。右か、左か。ボクサーか、ファイターか。ボクサーも当然、得手不得手がある。何より強い王者か、弱い王者か。巡り合わせであり、運、不運がある。村田の世界戦前に日本人初のミドル級世界王者竹原氏も「運は必要」と強調していた。

 90年代は辰吉、鬼塚、川島ら個性的な世界王者が数多く盛り上がった。この時代の帝拳ジムの期待は、横浜高で国体優勝し、甘いマスクの葛西だった。3度世界挑戦も王座をつかめず、トレーナーとなって村田を指導した時期もあった。「金メダルにプロでも頂点に立ったんだから、村田は運を持っている。ボクは実力がなかったが、運もなかった」と言っていた。

 大場から半世紀近くをへて、村田は帝拳ジムの日本人の世界王者として10人目となった。大橋ジムの大橋会長は「井上と村田がいれば、日本ボクシング界は当分安泰だ」と喜んだ。村田が今後どんな戦いを挑んでいき、伝説のボクサーになれるか。見守りながら楽しみたい。【河合香】