達成感。歓喜。感動。その、どれでもない感情が胸に芽生えたという。新日本プロレスの1・4東京ドーム大会のメインを初めて「飾った」気持ちは、独特な緊張感だった。

 他仕事の納品のため、1月4日夜は新幹線で移動中。プロレスマスク職人の神谷淳氏(46)は座席に座るとスマートフォンで動画配信サービス・新日本プロレスワールドのアプリボタンを押した。IWGPヘビー級王座に挑戦した内藤哲也の入場をチェック。自ら制作したオーバーマスクを装着した内藤の映像を見つめながら「ドキドキしてしまいましたね」と照れ笑いを浮かべた。

 新日本プロレスの制御不能ユニット「ロス・インゴベルナブレス・デ・ハポン」に所属するBUSHIのマスクを担当する1人だ。昨年10月、そのBUSHIを通じて内藤のドーム大会用オーバーマスクの制作依頼が舞い込んだ。立体的なマスク制作は1度もなかった。まったく初めての挑戦になるが「イッテンヨンのメインで使うマスクをつくることなんて、なかなかあることではない」。悩むことなく、快諾した。

 テーマは、ガイコツと18年のえと「いぬ年」。使用する素材、着色、軽量化など、神谷氏の頭には「どう表現するか」のイメージが膨らんだ。すぐに試作品も完成したが、3度もボツが出た。内藤とのイメージをシンクロさせることが急務。一から考え直し、数点のデザイン画で再提案した。ガイコツと犬の境目を強調するため縫い痕を入れ、耳にイヤリングを装着した最終形ができあがった。マスク完成は12月中旬。完成まで約2カ月をかけた力作となった。「間違いなく、技術レベルはアップしました。やってよかったです」。

 神谷氏は言う。「ファンの方の反応がどうなるのかというプレッシャーはありました。それ以上に今まで内藤選手のオーバーマスクをご担当されてきた前任の方が築き上げたイメージを崩してはいけないという重圧が一番ありました。何もないところから内藤選手とマスクをつくったご苦労は計り知れないです。職人のバトンタッチというのはリスペクトがないといけないと思っています。その功績を傷つけてはいけない」。

 新幹線の車内で、神谷氏が抱いた独特な緊張感は、前任者に向けたリスペクトの大きさだった。プロレス職人の矜恃-。内藤の「犬とガイコツ」オーバーマスクにまつわる1・4メインのアナザーストーリーは、クリエイター魂があふれている。【藤中栄二】


 ◆神谷淳(かみや・じゅん)1971年(昭46)4月6日、静岡・浜松市生まれ。小学4年の時、初代タイガーマスクのデビュー戦で強い衝撃を受け、手縫いやミシンを駆使し、趣味でマスク作りを開始。初代タイガーのマスクを担当する豊島裕司氏に師事する。中央学院大を卒業後、浜松市の企業に就職し企画部に所属。30歳で一時上京し、外資系人材会社に入社して法人・個人の営業を担当。40歳で退社後、地元に戻って起業塾に通い、ビジネス大賞を受賞。現在は同市でPUKUPUKU工房を経営し、後進を指導。静岡大教育学部でプロレスマスクに関する講師も務める。家族は夫人と1男1女。

プロレスマスク職人の神谷淳氏
プロレスマスク職人の神谷淳氏
新日本プロレスの1・4東京ドーム大会で内藤哲也が装着した犬とガイコツをイメージした神谷淳氏製作のマスク
新日本プロレスの1・4東京ドーム大会で内藤哲也が装着した犬とガイコツをイメージした神谷淳氏製作のマスク