まだ会ったことはない。電話を通じての会話が初めての取材だった。

今月6日、ボクシングのWBOアジアパシフィックフェザー級王者森武蔵(20=薬師寺)が、故郷の熊本県庁を訪れ、マスク3000枚を寄贈するという情報から取材を試みた。新型コロナウイルス感染拡大から現地へ赴くのは難しい実情。名古屋の薬師寺ジムに電話を入れると、元WBC世界バンタム級王者の薬師寺保栄会長につないでくれ、熊本の森までつながった。

熊本・菊池市出身の森は幼稚園から小学校5年まで空手で、その後にボクシングを始めた。そして13歳の時、選手生命の危機にあった。ロードワーク中、後ろから車に激突される事故で両足と腰を骨折の重傷。半年間の入退院の末、通常の歩行は取り戻したが、医者からは「ボクシングは無理」と宣告されたという。

そこからよみがえった経緯を聞きたかった。森は「自分の心は折れなかったんで」と言った。「必ずリングに立つ」とリハビリ、トレーニングを重ね、全国U-15ジュニアボクシング大会で優勝した。ジュニア世代の強化を目的に07年に設立された同大会の優勝者には“モンスター”井上尚弥もいる。森は奇跡の復活でエリートの扉を開けた。

複数の誘いがあった高校進学の道を断ち、「プロ以外に興味ない」と見初めた薬師寺会長の誘いで中学卒業後にプロの道に踏み出した。ここまで11戦全勝(6KO)と順調に世界へ前進しているが、伸び盛りの今、コロナ禍が阻む。

4月18日に熊本で予定されていた防衛戦は延期となった。アルバイトもやめ、現在はボクシング一本となった森の生活は「正直、苦しいです」という。それでも今回、地元に贈ったマスクは自身のファイトマネーから資金を捻出した。「ファイトマネーが入らないのは正直厳しいが、何か役に立ちたかった」。

まだ20歳とはいえ、一時は選手として再起不能の宣告を受ける苦しい経験を乗り越えてきた。人の痛みが分かるのだろう。「次は試合を見に行きますから」と約束して電話を切った。無敗の左ファイターは現在、WBO同級5位にランク。若き才能の世界挑戦が見たい。早く通常が戻ってほしい。【実藤健一】(ニッカンスポーツ・コム/バトルコラム「リングにかける男たち」)